歌舞伎文様考
伝統と革新が融合して誕生するクリエーション
祈祷師のお告げによって美濃の国の軍隊の総大将となる木村駄目助左衛門は、敵国・尾張で捕らえられ、濃姫の侍女となった愛陀姫に密かに心を寄せています。織田軍を攻め、見事勝利を手にした駄目助左衛門。しかし彼は愛陀姫への想いから織田軍の捕虜を解放するよう国主斉藤道三に懇願します。それは後に裏切りとされ、駄目助左衛門は追いつめられていきます…
伊藤 「駄目助左衛門は美濃の国のシンボルカラーである青に浪文様の裃の下に、敵国・織田の色である赤の着物を着ていますよね。それは彼が秘める愛陀姫への想いを象徴するデザインなのですか?」
ひびの 「そうです。青の下に赤を重ねることで、心の中に愛陀を取り込んでいることを象徴させました」
伊藤 「最後、美濃の国を裏切ったと彼が断罪される場面で裃をはだけて鮮やかな赤に衣裳が転換しますが、そこにも意味を持たせた?」
ひびの 「あの場面は稽古をする中で決まったんです。私は最初、駄目助左衛門は最後まで青を貫き通そうと思っていたんです。そうすればラストシーンで愛陀姫とふたりになった時、青と赤の対比が際立つと思っていたので」
ところがそのコスチュームプランは、俳優とのやりとりで変わったのだそうです。
ひびの 「橋之助さんが、歌舞伎でこういう裁きの場面では裃をはだけることもあるけどどうしましょうか、と言ってくださったんです。どうしようか迷ったのですが、稽古でやってもらったら鮮やかな赤に変わるのがとてもいいんですよね。インパクトがあって。なので、舞台稽古2日目からプランを変えました」
従来の歌舞伎には演出家がいません。ですから俳優は演技や衣裳にも強いこだわりを持っています。俳優たちとの意見交換から、新たな発想や思ってもいない効果が生まれるのが歌舞伎の魅力だとひびのさんはおっしゃいます。
伊藤 「この作品は戦の行方と男女の恋の行方を偽祈祷師の予言が翻弄していくのが重要な軸になっていますよね。劇中、偽祈祷師の衣裳が場面ごとにどんどん仰々しいものに変わっていく。すると彼らの態度がどんどん神がかってくる」
ひびの 「祈祷師のコスチュームも歌舞伎らしいエピソードがあるんですよ。あの衣裳自体は、従来の歌舞伎衣裳にあるものをコーディネートしたのですが、場面が変わって中村福助さんの演じる祈祷師の鬘が巨大になっていきますよね」
伊藤 「あの非日常的なこしらえによって、人間の驕りや欲が煽られていく感じがしました」
ひびの 「ありがとうございます。でも、あの鬘は最初あそこまで大きくなる予定ではなかったんです」
伊藤 「そうなんですか」
ひびの 「私が福助さんと打ち合せをして出したプランは、ヨーロッパのロココ調のようなテイストのものだったんです。貴族がかぶっているような。でも出来上がったものを見たら、ひとまわり大きくて(笑)。最初はどうしようか…と正直思いました」
伊藤 「そのまま採用したのはなぜですか?」
ひびの 「福助さんと相談をする中で、この仰々しいほどに大きな鬘のほうが面白い!となったんです。実際に稽古でつけていただいたら、あの鬘を被ると芝居がどんどん大きくなっていったんですよね。歌舞伎の仕事ではそういう不思議な奇蹟がたくさん起こるんです」



ひびのさんが描いた、愛陀姫の衣裳デザイン画

ひびのさんが描いた、木村駄目助左衛門の衣裳デザイン画
歌舞伎文様考
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