歌舞伎文様考
『妹背山婦女庭訓 三笠山御殿の場』 杉酒屋お三輪の衣裳
『三人吉三廓初買 本郷火見櫓の場』 お嬢吉三 麻の葉段鹿の子の衣裳。三人の盗賊の絆を描いた物語の最後の場面で、火の見櫓に追いつめられるお嬢吉三は初めて『八百屋お七』を彷彿とさせる衣裳を見せる。麻の葉段鹿の子の衣裳は女方だけでなく、『仮名手本忠臣蔵 道行旅路の花聟』の鷺坂伴内の衣裳などでも使われる。
連続する文様に織り込まれた、女たちの生き様
麻の葉鹿の子に代表される「鹿の子」は、鹿の背の白斑から名付けられました。鹿の子の名産地として知られるのが京都であることから、この手法は「京鹿子」と称されることもあります。歌舞伎の名作舞踊「京鹿子娘道成寺」はここから取られた題名です。
鹿の子絞りは糸で絞った部分が染まらず白く抜かれる染織技法で、やや大きめの四角形に近い「疋田鹿の子」や、小さな丸の中に、人の目のように点の入った「人目鹿の子」などがあり、道具の種類やその使い方によって様々な形が作り出されます。
名作のひとつに数えられる『妹背山婦女庭訓』は、超人的な力を持つ蘇我入鹿が爪黒の牝鹿の生血と、嫉妬に狂う凄まじい形相を持つ女の生血を注いで吹いた笛の音に正体をなくし、その力を失うという奇跡が物語の要となっています。
『御殿の場』で、蘇我入鹿の豪壮な屋敷に恋焦がれる求女を追って来たお三輪は、求女が入鹿の妹・橘姫と恋仲になったと嫉妬に狂い、凄まじい嫉妬の相をあらわにします。大勢の官女たちになぶられ狂乱状態となったお三輪が、藤原鎌足の家来・鱶七に殺されてしまう場面で着ているのが「麻の葉段鹿の子」の振袖仕立ての重ね下着です。
麻の葉段鹿の子は、紅色と浅葱色を斜めに段違いにした文様で、お三輪は片袖を脱いだ格好でその衣裳を見せ、壮絶な狂乱の美を巻き散らします。帯も黒襦子縁の赤い麻の葉文様で、ごく普通の町娘が恋に狂って見せる直情が鮮烈に示されています。
『八百屋お七』に発想を得た『三人吉三』のお嬢吉三も、黒襦子衿の付いた紅色と浅葱色の「麻の葉段鹿の子」の振袖を着ています。お七と名付けられ女の子として育てられた女装の盗賊、お嬢吉三。歌舞伎の舞台で麻の葉文様を纏う役柄の系譜からは、江戸時代から綿々と続くひとつの女性像の流れを見つけることができるような気がします。
伊藤俊治
伊藤俊治
1953年秋田生まれ。東京藝術大学先端芸術表現科教授、美術史家・美術評論家。美術や建築デザインから写真映像、メディアまで幅広い領域を横断する評論や研究プロジェクトを行なう。装飾や文様に関する『唐草抄』や『しあわせなデザイン』など著作訳書多数、『記憶/記録の漂流者たち』(東京都写真美術館)『日本の知覚』(クンストハウス・グラーツ、オーストリア)など内外で多くの展覧会を企画し、文化施設や都市計画のプロデュースも行なう。『ジオラマ論』でサントリー学芸賞受賞。
歌舞伎文様考
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