歌舞伎いろは

【歌舞伎いろは】は歌舞伎の世界、「和」の世界を楽しむ「歌舞伎美人」の連載、読み物コンテンツのページです。「俳優、著名人の言葉」「歌舞伎衣裳、かつらの美」「劇場、小道具、大道具の世界」「問題に挑戦」など、さまざまな分野の読み物が掲載されています。



華やかな歌舞伎俳優たちが、舞台から流行を発信しました。

 様々なアレンジを加えて、町民たちが帯結びを楽しむようになったのは江戸時代のことです。桃山時代から江戸初期までは、身幅がたっぷりしたきものに細帯でゆったりと着ていたものが、江戸中ごろからはきものの身幅が狭くなり、細幅の帯ではきものが着にくくなってきました。身幅の変化にともない、帯幅も少しずつ広くなり、長さも伸びてきました。そして、その長くなった分で様々な形に帯を結んで楽しむようになってきたのです。帯の締め方も、前に結ぶ前結びと後結びとがありました。前結びは前帯ともいわれ、主に既婚者が結んだところから主婦の代名詞にもされていましたが、それに対して後結びは少女の姿を意味していました。しかし、帯の幅が広くなるにつれ、それまで最も自然な形とされていた既婚者の前結びでは身動きに支障が出て生活が困難になってきました。そのため、江戸後期には後ろ結びが一般的になったといわれています。

 後ろ結びなら、どんなに大きく派手に結んでも困ることはありません。そしてここから、帯結びはおしゃれの花形へとなっていったのです。江戸時代、延宝から元禄の頃にかけて、さまざまな帯結びで人々を魅了したのが、歌舞伎の美しい女方たちでした。上村吉弥の「吉弥結び」・水木辰之助の「水木結び」そして村山平十郎の「平十郎結び」など、当時人気だった女方たちが結んだ帯結びが次々と江戸の町に広がっていったのです。

 
女性たちはこぞって女方の帯結びを模倣しました。

長沼静きもの学院

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