文様は単純な十字絣から精巧なものまで様々ですが、草・木・花・夜空の星など、島の美しい自然が多く図案化されています。
島に多く自生する蘇鉄(ソテツ)は、奄美大島紬の代表的な文様のひとつでもあり、鉄分を必要とする泥染めになくてはならない植物です。
イギス・フノリといった、島の海産物で作られた糊で、絣糸を糊付けしていきます。「締機(しめはた)」で絣をくくるために必要な大事な工程です。
精巧な絣を作り上げるのに重要な締機技術。強く織り込まないと染色の際に染料が締め織りした中まで浸透して、絣が不明瞭になってしまうので、力のいる作業です。
 

 鹿児島から南西へ約400km、沖縄との間に太平洋と東シナ海を区切るように飛び石状に連なる五つの島の最北端にあたるのが、奄美大島です。沖縄本島、佐渡に次いで3番目に大きいこの島は、周囲460km・面積約720k㎡あり、一年を通して温暖な気候の亜熱帯地域で世界的にも珍しい動植物や古い文化が息づく奥深い島でもあります。

 美しいビーチと原生林をもつ自然豊かな南の島で生まれた「本場奄美大島紬(つむぎ)」の魅力を知るべく、「奄美大島紬協同組合」の平さんに現在活躍している職人さんの元へと案内していただきました。

 1300余年の歴史を持つ奄美大島紬の魅力は、草木染めと泥染めによる「天然染め」と緻密で精巧な「絣(かすり)織り」にあるといわれています。使用される原材料にも島の自然はふんだんに使われています。昔から、大島紬の柄には奄美大島の自然の形がそのまま取り入れられていました。中でも奄美大島紬の代表的な古典柄である「龍郷柄(たつごうがら)」はアダンという植物で作った風車やソテツの葉がデザインの原点となっているそうです。

 明治以前、大島紬は黒砂糖と共に、薩摩藩への献上品・交易品として重要な財源となっていました。明治になると、大島紬は自由に生産・取引ができるようになり、それにつれ生産も分業化されるようになりました。しかし、およそ30といわれる工程の中で機械を使うことはほとんどなく、それぞれの工程には高い技術と長年の経験が求められるため、現在でもひとつひとつの工程が専門の職人さんによって生産されています。

 明治中期には、画期的な発明により大島紬はその品質をさらに高めることに成功しました。大島紬の魅力でもある緻密で精巧な絣模様は、経糸(たていと)の綿糸で、図案に合わせながら絹糸を強く締める織り締め法によって加工されます。手間のかかるこの作業は、昔は手括り(てくり)で行われていました。明治35年ごろには永江伊栄温氏によって絣加工用の締機(しめばた)が完成されると、能率があがるだけでなく、技術的にもより緻密で精巧な絣加工が可能となり大島紬のすばらしさが世界に広まるきっかけともなったのです。

長沼静きもの学院

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