歌舞伎いろは

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伝統の意匠を大切に守りながらも新しい柄が次々に考案されていきます。
献上柄にあしらわれている独鈷や華皿には厄除けの意味が、縞柄には子孫繁栄と家内安全の願いがこめられています。
博多織求評会において内閣総理大臣賞を受賞した豪華な紹?(しょうは)袋帯。毎年開催される博多織求評会は一 般公開もされています。
 
 博多織は、鎌倉時代に商人・満田弥三衛門(みつたやざえもん)が承天寺の開山・聖一国師(しょういちこくし)と共に宋に渡り、織物の製法を持ち帰ったのが始まりと言われています。その後、筑前藩主となった黒田長政が、西陣や桐生におされて衰退の兆しを見せていた博多織を幕府へ献上するようになりました。この時献上された帯には仏具の独鈷(どっこ)(※1)と華皿(※2)を図案化した文様に縞を配した模様があしらわれ、色は当時の中国・隋の思想に習って「仁・礼・智・信・徳」を示す青、赤、紺、黄、紫の五色が使われていました。これが博多織、そして博多帯の原点として今も伝わる「五色献上帯」の誕生といわれています。

 その後、黒田藩は博多織の生産を制限するようになりました。織屋の数を限定することで、品質とブランド力を高める戦略を打ち出したのです。藩の強力な庇護の下、博多織はその品質と風格を守りながら、次の世代へと引き継がれてきました。そして、帯といえば「博多織」とその名を広く知られるようになったのです。
 現在でも空港の壁や地下鉄・博多駅のシンボルマークなど、博多の街の至るところで博多織を目にすることができ、人々の「博多織」に対する愛情が伝わってきます。

※ 1独鈷(どっこ): 密教法具の一つ。真言宗では、煩悩を破砕し菩薩心を表す金属製の仏具として修法に用いられます。
※ 2華皿(はなざら): 仏の供養をするとき、花を散布するのに用いられる仏具です。

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