歌舞伎いろは

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左より、蓼藍のタネ、乾燥させた葉、発酵を終えた「すくも」。種まきは春先ですが、夏に乾燥させ、すくもができ上がったときはすでに秋も終わりになります。

 

刈り取った蓼藍をよく乾燥させたものは、秋になるまでむしろ2枚を縫い合わせた袋に入れておきます。

 

①「すくも」に石灰やふすま、清酒、そして灰汁などを入れてつくった染料。表面に泡のように見えるのが“華”。
②カメから布を引き上げたばかりのときは、こんなふうに濃い緑色。
③それがあっという間に藍色に変色。色の濃さは漬ける時間の長短とは関係ないそうです。

 

タデ科の植物で標準和名はアイ。仲間のイヌタデと区別するためタデアイの別名があります。草丈50~70cm、やや幅広の葉の先はとがっており、秋、濃いピンク色の花を穂状につけます。藍染に用いられるのは茎葉ですが、解熱、殺菌の効果を期待して漢方薬として使われるのは実です。

 

藍染の大もとをつくる藍師の仕事
 藍染は世界中で見られるものですが、日本で広く用いられてきたのは蓼藍(タデアイ)を用いたもの。これから染料をつくり、染色されるわけですが、染料の元をつくるまでに、まず多くの技が必要とされます。

 春先に蓼藍のタネをまき、間引き、除草などをしながら栽培。梅雨明けを待って刈り取り、葉と茎に分けて乾燥。秋になったら、寝床と呼ばれる床に数トンの葉を積み上げ、これに打ち水をしては切り返しをして発酵させます。打ち水→切り返しは5日ぐらいごとに行い、それを20回ほど繰り返したところでやっと発酵が完了。こうして染料のもとになる褐色の「すくも」ができ上がると、すでに季節は晩秋です。

 「すくも」のでき次第で藍のよしあしが決定するといわれる、とても難しいこの作業。ここまでを担当するのが「藍師」と呼ばれる匠です。今回、この工程を教えてくださったのは、国選定文化財 阿波藍製造技術保持者で新居製藍所の藍師、新居修さん。


染料づくり
 こうしてできた「すくも」は「染師」のもとに運ばれます。ここで藍染のきものになるわけですが、まず「すくも」を染料にしていきます。「すくも」に石灰、光を保つためのふすま、栄養を与える清酒、そして天然の灰汁を加えてつくるのですが、すべて古来から伝わる材料でなければなりません。なかでも現在、最も入手が難しいのが天然の灰汁だそうです。

 今回、お話を聞かせてくださった株式会社こんやの染師・小谷佳弘さんは、沼津漁港で鰹節づくりに使われた灰を譲り受けているのだそう。「完全なボランティアで送ってくださっています。藍染はアルカリ性水溶液の特性を利用して染めるもの。この灰汁がそのアルカリ度数を決めるのです。ですから天然のものでなければ、どうしてもダメなんです」。この灰をお湯に入れて一日放置し、天然灰汁の完成です。

 材料が揃ったところで混ぜ合わせ、発酵の度合いを見ながら灰汁を少しずつ加えていきます。発酵すると少し泡の混じったような膜が張りますが、これを染師は「“華”がきた」と言うそうです。この華の様子で発酵の度合いを計り、10日程度かけて完成。うまくいかないときは、すべてダメにしてしまうこともあるのだそう。


藍の機嫌を見ながら染める
 こうしてできた染料に布、もしくは糸を漬けて染めていくわけですが、小谷さんいわく「最も難しいのは色無地です」。染料に漬けた布をカメから引き上げると、最初は濃い緑色のような色合いで出てきます。が、間もなく藍色に変化。空気に触れて発色するのです。ですから、予期しない場所が空気に触れてしまったら、そこだけ色が変わってしまう。均等に染め上げなければならない色無地がいかに難しいかは、容易に想像がつきますね。

 また、意図した色に染まらないことは当たり前とも小谷さんは言います。上記の“華”や匂い、ぬめり具合などで染料の具合を見るわけですが、今の状態ならば何回染料をくぐらせればいいかは、匠の経験で判断するしかないのです。

 ちなみに染師は、まず残業をしないのだそうです。「僕らが疲れるからではなく、藍が疲れてしまうからです。藍染は藍のご機嫌次第。そのご機嫌をうかがうのが、僕らの仕事のようなものです」とのことでした。

長沼静きもの学院

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