歌舞伎いろは

【歌舞伎いろは】は歌舞伎の世界、「和」の世界を楽しむ「歌舞伎美人」の連載、読み物コンテンツのページです。「俳優、著名人の言葉」「歌舞伎衣裳、かつらの美」「劇場、小道具、大道具の世界」「問題に挑戦」など、さまざまな分野の読み物が掲載されています。



御覧いただきたいのはここ!


百年前、曾おじいさんがつくり出したもの

 日生劇場「十二月歌舞伎公演」で染五郎さんが演じる『碁盤忠信』は、七世松本幸四郎が明治44年11月の襲名披露興行で一度だけ上演した狂言。それを百年ぶりに染五郎さんが復活させることになったわけですが…。
 「復活を含め、新しい歌舞伎作品をつくることについてはそれなりに経験を重ねてきたつもりです。ただ、今回はこれまでとはわけが違う。モノが違います。何しろ荒事をつくらなければならないんですから。しかも『茨木』や『勧進帳』に匹敵するものを、です」

 今回の公演は「七世松本幸四郎襲名百年」と冠され、曾孫である染五郎さん、松緑さん、海老蔵さんの三人が七世ゆかりの演目を演じるというもの。松緑さんが『茨木』、海老蔵さんは『勧進帳』。言わずもがな、いずれも古典の名作です。
 「『碁盤忠信』をそれらと並ぶものとしなければならない。どれくらいのプレッシャーかは、まあ、想像してください。ただ、こういう公演で“作品をつくる”ことを担わされたのは、これまで僕がやってきたことが一つの道になったのかなとは感じています」

古典に匹敵する新しい歌舞伎をつくらなければいけない

 『決闘!高田馬場』(平成18年3月PARCO劇場)に『染模様恩愛御書(そめもようちゅうぎのごしゅいん)』(平成18年10月大阪松竹座初演)、『人間豹』の2作(平成20年11月、21年10月国立劇場)…。染五郎さんが関わってきた復活狂言や新作は少なくありません。
 「“新しい歌舞伎をつくる”ことは、求められたことでもあったけれど、僕自身が望んだことでもありました。ずいぶん前から、体が動かなくなったときのことを考えていたんです。つくる技術があれば、自分自身で演じられなくても、歌舞伎をやり続けることができる。本気でそう考えていました。それで様々な歌舞伎作品を読み解いたり、演出や作劇の勉強を始めた…」
 「いくつかは形になりましたが、それらはどうやったらお客様に興味をもっていただけるかを考えればよかった。どういうストーリー展開にするか、趣向は? 装置は?と、自分の感性を信じてやってこられました。でも、今回は本当の意味で歌舞伎を知らなければつくれません。ごまかしのきかない作品なんです」


 創作の手掛かりは多くはありません。

(撮影:操上和美 提供:松竹株式会社)

源義経(亀三郎)は、心ない者の中傷によって兄の源頼朝と不仲になり、静御前(春猿)をはじめ、家臣たちと共に都から吉野へ落ち延びます。しかし、味方と思った吉野の衆徒たちに裏切られ、危機に直面するところ、忠臣佐藤忠信(染五郎)が、義経の身替りになることを申し出て、主君を救います。そして衆徒を蹴散らした忠信は、義経ゆかりの堀川御所に潜むことするのでした。
一方、忠信の舅である小柴入道浄雲(錦吾)は、女商人の塩梅よしのお勘(笑三郎)から忠信のための酒を購うなど、聟(むこ)のためにつくしています。実はこれは忠信を捕えるための計略で、入道は内通する梶原景時に聟の首を差し出そうと企んでいるのでした。何も知らない忠信は、入道の勧める酒を飲んで、碁盤を枕にうたた寝を始めますが、そこへ忠信の亡き妻小車の霊(高麗蔵)が出現し、忠信の身に危難が迫っていること知らせます。これを知った忠信は、義経ゆかりの鎧を身につけ、拝領の太刀を手にして、小柴入道と景時の家臣番場の忠太(猿弥)を相手に大暴れします。ここへ吉野で衆徒を束ねる横川覚範(海老蔵)が現れて…。

 「台本と、雑誌『演藝畫報』に掲載されていたモノクロの扮装写真。舞台面については、帝劇に一枚だけ写真が残っていました。それだけです。あの時代は、毎月が新作みたいなものでしたから、残すことをあまり意識していなかったのではないでしょうか。ものによってはそれだけでもいい手掛かりになりますが、今回は荒事。耳と目で楽しませる芝居ですから、それらがわからないのは厳しいですよね」

 そこで助けになるのが――。
 「“引き出し”です。歌舞伎にはこれだけ多くの作品がありますから、その中から、あんな感じ、こんな感じとイメージしてつくっていく。たとえば、忠信の夢枕に亡き妻の亡霊が出てくる件(くだり)があるのですが、これは『矢の根』に通じるかなとか、御殿の天井から鎧が落ちてくるところは『毛抜』が参考になるかなといったように、ヒントにできるものはあります。しかし “敵”は『勧進帳』に『茨木』ですから、ね」

 古典に匹敵する作品にするためには、何が必要なのでしょうか。
 「すべてにおいて洗練されていることではないでしょうか。物語、流れ、動き、曲、すべてに無駄がないこと。古典が時間をかけて積み上げてきたものを、僕の少ない経験でやるには、いろんな人の知恵と歌舞伎の歴史に助けてもらうしかありません」

ようこそ歌舞伎へ

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