歌舞伎いろは

【歌舞伎いろは】は歌舞伎の世界、「和」の世界を楽しむ「歌舞伎美人」の連載、読み物コンテンツのページです。「俳優、著名人の言葉」「歌舞伎衣裳、かつらの美」「劇場、小道具、大道具の世界」「問題に挑戦」など、さまざまな分野の読み物が掲載されています。



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平成18年10月歌舞伎座(C)松竹株式会社

今の観客の共感を得るために

 勘平はしんどい役とおっしゃいましたが、今回で6度目。当り役の一つです。
 「これだけ演じることになるとは思っていませんでした。非常によくできたお芝居です。人形浄瑠璃ではさらにドラマ性が強くなります。勘平が死んだ後、おかやが嘆く場面があったりしますから」

 考えてみると、おかやはとても可哀そうな人です。
 「本当にこの役、この後どうするのか、と思いますよね。娘は売られ、夫は死に、婿さんも死ぬ。一人ぼっちでどうなってしまうのだろうと。本当に可哀そうでしょう。そういうドラマを見せるのが人形浄瑠璃で、歌舞伎は主役を見せる。そのなかでも、東京はより役者を見せ、関西は役者を見せながらもドラマも見せるというバランスだと思います」

 勘平に限らず、仁左衛門さんならではのやり方でなさることが多いですね。
 「役の気持ちは考えますが、古典物についてはあまり掘り下げすぎてもいけません。あまり心理を掘り下げすぎると、現代風になりかねません。でも、現代のお客様に共感も得なければなりません。その兼ね合いが難しいところです」

 腹を切った勘平が「色に耽ったばっかりに」と嘆く場面で、顔に血糊をつけるときに後見を使わないのも、その一つでしょうか。
 「血糊を使うためだけに後見が出てくるのは、見ていて邪魔になるでしょう。後見は歌舞伎につきものですが、必要でないところは極力減らすようにしています。『五段目』の山崎街道で千崎弥五郎に再会する件も、原作では“顔も得上げぬこの仕合せ”と言うんですが、“この幸せ”と聞こえてまぎらわしいのではないかと考え、“このしだら”と言い換えています」

京都四條南座 當る巳歳 吉例顔見世興行

平成24年11月30日(金)~12月26日(水)
公演情報
夜の部
『仮名手本忠臣蔵』五段目 六段目

早野勘平 仁左衛門
女房おかる 時 蔵
斧定九郎 橋之助
千崎弥五郎 愛之助
母おかや 竹三郎
一文字屋お才 秀太郎
不破数右衛門 左團次

戦前の歌舞伎の匂いを求めて

 現代の観客の共感が得られ、かつ現代に走りすぎない――。その境目は何と考えていらっしゃるのでしょうか。
 「戦前の歌舞伎の匂いを壊さないように、ということが一番大きいでしょうか。戦争を境にいろんなことが変わってきました。もちろん、明治の歌舞伎も、江戸時代から見れば変わっていたのでしょう。ただ、戦後はその変わり方が激しくなっていますから、あまり時代に同調せず、なるべく戦前につくられた匂いを残したい。そう思っています」

 仁左衛門さんがお感じになる戦前の歌舞伎の匂いとは?
 「父の話、昔の本や雑誌、たとえば『演藝画報』に載っている写真。わずかですが、SPレコードも残っています。そういうものから汲み取った雰囲気ですね。画面や音そのものだけでなく、そこから立ち上がってくるものを感じとるようにしています。芝居のテンポひとつとってもまったく違う。もっとずっと速かったそうです。だから、部分的には今よりリアルであって、それでいてこくがあるのです」
 「私たちが下手にリアルにやると、こくがなくなる恐れが出てきます。そこが難しいところですね。歌舞伎の中のリアルを見極めないと…」


 歌舞伎のなかのリアルとはどういったものなのでしょうか。
 「理論があるわけではない。そうしようと思うだけです。私はそう思いますね。リアルにと考えたら、たとえば『七段目』で由良之助が御台所からの手紙を読む件はとてもおかしい。上からおかるに覗かれ、下からは九太夫に読まれているなんて、そんな馬鹿な話はない。けれど、“そんな馬鹿な”と感じさせない…。それが歌舞伎の魅力、魔力なのだと思います」
 「役者というのは、理屈を言うかと思えば、都合の悪いところは“それが歌舞伎”で話を納める。要は勝手なんです(笑)」


ようこそ歌舞伎へ

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