歌舞伎いろは

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もっと知りたい!中村芝雀さんのこと


父と子、師匠と弟子

中村芝雀さんをもっと知りたい!
中村芝雀
七代目 中村芝雀
(なかむら しばじゃく)

生まれ
昭和30年11月20日生まれ。

家族
父は四世中村雀右衛門、母が七世松本幸四郎の娘。兄は八代目大谷友右衛門で、三代目大谷廣太郎、二代目大谷廣松は甥に当たる。

初舞台
昭和36年2月歌舞伎座『一口剣(ひとふりけん)』村の子明石で大谷広松を名のり初舞台。

襲名
昭和39年9月歌舞伎座『妹背山婦女庭訓(いもせやまおんなていきん)』御半下おひろで七代目中村芝雀を襲名。

受賞
平成9年眞山青果賞奨励賞。同20年松尾芸能賞優秀賞、日本藝術院賞。同22年紫綬褒章ほか受賞・受章多数。

 雀右衛門さんが亡くなられてはや1年が経とうとしています。どんなお父様でいらっしゃいましたか。
 「先輩で、師匠で、俳優としてのお手本でした。成長するに従い、自宅よりも劇場で会うほうが多くなりました。だから親子というより、師匠と弟子のような気持ちのほうが強い。年を重ねて親子の距離が少しずつ縮まってきても、越えてはいけない部分があるような気がしました」
 「今の世の中の標準的な家庭というよりも、親の威厳があった昔の家族関係に近いかもしれません。そこに、師匠と弟子のテーストが加わったという感じではないでしょうか。父は温厚でしたが、重みがありました。普段は寡黙で、多くはしゃべらなかったですね」

心に残る父の姿

 お父様との思い出をお教えください。
 「平成9(1997)年に、父と天王寺屋のおにいさん(中村富十郎)が主体になってのフランス公演がありました。私が父の世話をする形で、同じホテルの父の大きな部屋の隣に付いた次の間のような部屋に、1週間ぐらい泊まりました。朝から晩まで父と一緒の空間で過ごすことは、日本でもありませんでした」
 「私が先に寝て、朝に父の部屋をのぞくとコップがたくさん並んでいるんですね。私は父の部屋のコップを片付けてから寝ましたから、その後に父はまた飲んでいるわけです。お酒が強いなと思いました。ジンとかウォッカが好きでした。父は徴兵されて戦地に行っておりますので、そこで覚えたのが、そういう種類のお酒だったんじゃないでしょうか」

 これからは、芝雀さんがお父様の当り役を手がけられる機会も増えるかと思います。
 「ええ、そうなりたいですね。フランス公演では父と天王寺屋のおにいさんが『二人椀久』を踊りました。二人の当り役でした。私も以前に踊りましたが、機会があったら、またどなたかとさせていただきたい。父は道成寺物も数多く踊っております。全部は無理でも、いくつかは自分のものにできたら幸せです。父と二人で『二人道成寺』は踊りましたが(平成11年9月歌舞伎座、同13年4月金丸座)、『娘道成寺』も踊りたいと思っております」

ようこそ歌舞伎へ

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