歌舞伎いろは

【歌舞伎いろは】は歌舞伎の世界、「和」の世界を楽しむ「歌舞伎美人」の連載、読み物コンテンツのページです。「俳優、著名人の言葉」「歌舞伎衣裳、かつらの美」「劇場、小道具、大道具の世界」「問題に挑戦」など、さまざまな分野の読み物が掲載されています。



京都四條南座 「當る未歳 吉例顔見世興行」   『新口村』知っているともっと面白くなる!

ようこそ歌舞伎へ 片岡秀太郎

「梅川はきれいでないといけません」

 ――『新口村』の梅川をなさるのは平成2(1990)年6月の大阪の中座以来です。お父様(十三世仁左衛門)の孫右衛門、仁左衛門さんの忠兵衛でした。

 “子ばか”かもしれませんが、父の孫右衛門が素晴しかった。父も亡くなりましたし、もう『新口村』の梅川はやらないと決めていました。ところが、今年の8月に国立劇場の「音の会」(国立劇場歌舞伎音楽既成者研修発表会)で、『新口村』の梅川を(市川)段之君に教えているうちに、自分でもやりたい、とむずむずしてきました。そうしたら途端に話がきたので、とてもびっくりしました。

 お客様がご覧になって、秀太郎、年取ったなと思われることは、梅川役者としては辛い。梅川はきれいでないといけません。見ている人がかわいいな、愛おしいなと、抱きしめてあげたくなるような梅川をやりたいんですよ。若いときは、孫右衛門が何か言っているときに、背中を丸めるようにして聞いていると情緒がありましたが、今それをやると婆になります。反ったままでいないとだめ。そういう工夫がいります。

 ――今回はお兄様の我當さんの孫右衛門、中村梅玉さんの忠兵衛です。

 兄も父にだんだん似てきましたし、期待しています。梅玉さんは和事をすごく勉強なさっています。父も昔から、「上方の和事を受け継いでくれるのは梅玉さんかな」と申しておりました。その梅玉さんとの梅川忠兵衛も初めてです。

 梅玉さんとは夫婦が続きます。同じ月の夜の部では『山科閑居』のお石と由良之助。正月の大阪松竹座での「中村鴈治郎襲名披露興行」では、『吉田屋』の喜左衛門とおきさ。ちょっと珍しい。梅川忠兵衛も正式に届は出ていないけれど夫婦ですから。これが私の梅川の本当の最後じゃないですか。

京都四條南座「當る未歳 吉例顔見世興行」

平成26年11月30日(日)?12月26日(金)

公演情報

『 恋飛脚大和往来 』こいのたよりやまとおうらい「 新口村 」にのくちむら

亀屋忠兵衛 中村 梅 玉
傾城梅川 片岡 秀太郎
才造 中村 松 江
忠三女房おしげ 中村 歌女之丞
万歳 片岡 進之介
孫右衛門 片岡 我 當

人形浄瑠璃との距離

 ――歌舞伎文楽合同公演(昭和59年2月朝日座)、原作の『冥途の飛脚』の近松座公演(平成5年7月サンシャイン劇場)など、梅川は何度となくお勤めです。

 動きの基本は人形浄瑠璃の人形遣い、吉田簑助さんに懇切丁寧に教えていただきました。朝日座での合同公演では竹澤弥七お師匠さんの三味線、竹本源大夫さん(当時 織大夫)の浄瑠璃でやらせていただきました。弥七のお師匠さんは、「文楽ではこう語りますが、歌舞伎ではこうやったほうがええんちゃいまっか」と教えてくださいました。浄瑠璃を覚えたうえで、歌舞伎風に言わないといけないと言ってくださいました。

 私は人形浄瑠璃が好きで、耳にあるものですから、せりふでも義太夫を語ってしまいがちでした。『河庄』の小春をしたときに(平成5年12月南座)、(十二世市川)團十郎さんから指摘を受けたことがあります。「勉強しているし、消化しているんだけれど、何かピンと来ない」という趣旨のことを、気を遣いながら言ってくださった。ありがたかったです。

 弥七さんもおっしゃっていたなと思い出し、今はできるだけ離れるようにしています。義太夫を語るのではなく、梅川の気持ちで話せるようにしたいと思います。

ようこそ歌舞伎へ

バックナンバー