歌舞伎いろは

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京都四條南座 「當る未歳 吉例顔見世興行」   『新口村』秀太郎さんのこと、お教えします

ようこそ歌舞伎へ 片岡秀太郎

顔見世出演と鴈治郎復活と

 ――大阪松竹座の正月公演「壽初春大歌舞伎」は四代目中村鴈治郎襲名披露。秀太郎さんは夜の部で今回の『新口村』の前の場面となる、『封印切』のおえんをなさいます。

 おえんは忠兵衛贔屓だし、梅川のことがかわいい。だから、梅川がそう思えないとおえんは、しんどい。「なんだこの梅川」と思ったらやれません。お陰様で今まで、そんなひどい梅川忠兵衛さんにはお付き合いしておりません。次は新鴈治郎となる翫雀さんの忠兵衛、扇雀さんの梅川ですから楽しみです。

 ――その鴈治郎の名前が復活します。どんなお気持ちですか。

 初代こそ存じ上げませんが、二代目から四代目までの鴈治郎さんと舞台でご一緒できることがうれしいですし、翫雀さんには頑張っていただきたい。初代さんは大きな方。二代目さんは何でもできる素晴らしい方でした。三代目のおにいさんがすぐに藤十郎になられたから、正直なところ寂しかったです。鴈治郎は大阪の歌舞伎の象徴。大阪は“通天閣に鴈治郎はん”です。翫雀さんは、ここのところ役者がよくなっているし、とても楽しみです。

 ――秀太郎さんは、南座の顔見世にたいへん数多くご出演されています。思い出をお教えください。

 吉右衛門劇団が中心になっての昭和25(1950)年の公演が、顔見世出演の最初で、私は9歳でした。それから数回抜けておりますが、毎年のように出していただいております。うれしかったのは関西歌舞伎で役がつかなかった昭和40(1965)年に、(二世尾上)松緑のおじさんが『土蜘』の胡蝶を踊らせてくださったこと。私は20代で、幸せでした。今度いつ芝居ができるかわからないから、千穐楽が来るのが怖くてね。

 それから、顔見世興行中(昭和48年12月)に嵯峨の実家に泊まっていて、出勤途中の自動車が大雪で動かなくなったこともあります。車を民家の側に停めようとすると困りますと言われましたが、顔見世に出るんだと事情を説明したら、「置いておくれやす」と許してくださいました。

 兄の我當と嵐山電車に飛び乗り、携帯電話もない時代でしたので、駅から電話して開演14分前に楽屋に着きました。四条大橋を走っているのを、上からお弟子さんたちが見ていて「来た来た!」って。昼の序幕の『春調娘七種』に曽我五郎で長袴を履く兄も、静御前の私も、なんとか間に合わせることができました。そんなことも思い出されますね。

片岡秀太郎 松嶋屋!

片岡秀太郎さんをもっと知りたい!

二代目 片岡秀太郎(かたおか ひでたろう)

生まれ 昭和16年9月13日、大阪府生まれ。
家族 父は十三代目片岡仁左衛門。養子に六代目片岡愛之助。兄は五代目片岡我當、弟は十五代目片岡仁左衛門。
初舞台 昭和21年10月南座『夕霧伊左衛門 吉田屋』禿(かむろ)たよりで本名の片岡彦人で初舞台。
襲名 昭和31年3月大阪 歌舞伎座『河内山』腰元浪路で二代目片岡秀太郎を襲名。
受賞 昭和62年1月、平成6年3月などで国立劇場優秀賞。平成9年度十三夜会年間大賞。同11年第二十回松尾芸能賞優秀賞。同年度大阪芸術賞。同15年伝統文化ポーラ賞優秀賞、ほか、受賞多数。

平成25年

12月 當る午歳 吉例顔見世興行」(京都四條南座)
『義経千本桜』「川連法眼館の場」静御前

平成26年

1月 壽初春大歌舞伎」(歌舞伎座)
『東慶寺花だより』お陸
2月 二月花形歌舞伎」(歌舞伎座)
『心謎解色糸』女房おらい
3月 鳳凰祭三月大歌舞伎」(歌舞伎座)
『封印切』井筒屋おえん/『加賀鳶』女按摩お兼
4月 鳳凰祭四月大歌舞伎」(歌舞伎座)
『梅雨小袖昔八丈』後家お常
5月 明治座 五月花形歌舞伎」(明治座)
『伊達の十役』栄御前
6月 松竹大歌舞伎」(中央コース)
襲名披露『口上』
7月 七月大歌舞伎」(大阪松竹座)
『天保遊俠録』中臈阿茶の局 /『菅原伝授手習鑑』「寺子屋」御台園生の前
9月 秀山祭九月大歌舞伎」(歌舞伎座)
『隅田川続俤』おらく/『曽我綉俠御所染』甲屋女房お松
10月 十月大歌舞伎」(歌舞伎座)
『野崎村』後家お常
11月 明治座 十一月花形歌舞伎」(明治座)
『四天王楓江戸粧』保輔母幾野

ようこそ歌舞伎へ

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