歌舞伎いろは

【歌舞伎いろは】は歌舞伎の世界、「和」の世界を楽しむ「歌舞伎美人」の連載、読み物コンテンツのページです。「俳優、著名人の言葉」「歌舞伎衣裳、かつらの美」「劇場、小道具、大道具の世界」「問題に挑戦」など、さまざまな分野の読み物が掲載されています。



歌舞伎座「四月大歌舞伎」『彦山権現誓助剱』
今度の舞台を楽しく見るために

ようこそ歌舞伎へ 中村東蔵

義太夫物のお婆さんは性根が強い

 ――東蔵さんが勤められるお幸は、微塵弾正に殺害された吉岡一味斎の妻で、お園の母です。今回は六助の家を訪れる「入り込み」から登場されます。

 出てきたと思ったらいきなり、家に泊めてくれと六助に申し出て、さらに「親になろう」と言ったり、金包みを投げつけたり。六助ではなくてもびっくりするようなお婆さんですよね。

 ですから、お客様にも六助的な気分になっていただき、「何だろう、このお婆さんは」と、ちょっと不思議に感じてくだされば成功だと思います。少し謎めいていて、後に「ああ、そうだったんだ」というのが必要な役だと思います。

 ――お幸はどんな女性でしょうか。

 並のお婆さんではありません。夫の敵を捜し歩いているわけですし、気丈です。お園が年をとったら、きっとお幸のようになるのではないでしょうか。義太夫物の、お幸のように頭(鬘)の白いお婆さんは、性根の強い役が多いですね。『太功記(絵本太功記)』「十段目」の皐月もそうですが、みんな結構、気が強いなと思います。

 ――お園が六助の許嫁とわかった後に、お幸は再び登場します。「入り込み」がない演じ方ですと、お幸はここからの登場になります。

 旅姿から衣裳も改めた打ち掛け姿で現れます。ここからは、どんどん運びます。娘とも会えたし、孫もいる。それに頼もしい六助です。いい人に出会ったと喜色満面で、気も晴れやかになります。

『彦山権現誓助剱』杉坂墓所 毛谷村(ひこさんごんげんちかいのすけだち)(すぎさかはかしょ)(けやむら)

 毛谷村に住む六助は、剣術の腕を見込んで家来にと請われても、まだまだ修行の身と断るほどの真面目な男。いつものように母の墓前で念仏を唱えていると、老婆を背負った浪人が現れ、六助に打ち勝てば五百石で召し抱えるとの国主の高札を見たが、この母のため試合で勝たせもらえないかと懇願してきました。孝心に打たれ負けを請け合った六助は、さらに、山賊に襲われた旅人から幼子、弥三松を託され、これにも親もとへ届けると約束します。

 後日、六助の庭先では、先日決めたとおりに御前試合で勝った微塵弾正が、褒美の品々を受取っていきました。そこへ、少し休ませてほしいと旅の老婆がやって来ます。老婆は、年恰好もちょうどいいから親子になろう、金もあるなどと言うので、六助はびっくり。まずは奥へと老婆を休ませ、帰ってきた弥三松を寝かしつけているところに、今度は虚無僧が現れ、六助を敵だと言って斬りかかります。そのとき、「伯母様か」と弥三松が駆け出してきました。六助が嫌疑を晴らそうと語り始め、名前を告げると、虚無僧は態度を一変、自分はお前の女房だと言い出しました。なんと虚無僧は、六助の剣術の師、一味斎の娘のお園でした。師の最期を二人で嘆いているところに、奥の一間から先ほどの老婆の声がして…。

歯を染めない理由

 ――お幸を初演されたのが平成5(1993)年7月の「四代目中村梅玉 九代目中村福助 襲名披露」で、二世中村又五郎さんに教わられたとうかがいます。

 おじさんは、「お幸は、歯は染めなくてもいい。まあ面倒くさいんだな」とおっしゃいました。そのときは、そうなのかと思っておりましたが、何度かほかの老け役を勤める間に、おじさんの意味されるのは、ご自分が面倒ということではなく、当時のお幸ぐらいの年齢の女性は、鉄漿(おはぐろ)を付けるのを面倒に思う、ということではないかと気付きました。

 ですから、最近の私は、白(はく=総白髪の鬘)を乗せる役のときは、歯を染めないようにしております。そのお言葉が一番印象的でした。

 ――お幸役は今回で7度目になられます。回を重ねることで変わられたことなどおありでしょうか。

 僕は前のことを忘れちゃうんです。勤めるうちに、前回はこうだったなと思い出します。僕の長所でもあり短所でもあります。気持ち的にはいつも新鮮で、「この前やった役だから」という感じはないですね。

ようこそ歌舞伎へ

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