歌舞伎いろは

【歌舞伎いろは】は歌舞伎の世界、「和」の世界を楽しむ「歌舞伎美人」の連載、読み物コンテンツのページです。「俳優、著名人の言葉」「歌舞伎衣裳、かつらの美」「劇場、小道具、大道具の世界」「問題に挑戦」など、さまざまな分野の読み物が掲載されています。



歌舞伎座「六月大歌舞伎」『曽我綉俠御所染』
今度の舞台を楽しく見るために

ようこそ歌舞伎へ 市川左團次

正方形の教えを正方形で受け取る

 ――左團次さんは、6月の歌舞伎座夜の部の『御所五郎蔵』で星影土右衛門をなさいます。土右衛門の初演は昭和50(1975)年3月の京都南座で、五郎蔵は初世尾上辰之助さん(三世松緑)でした。

 初演の際は、(十七世)羽左衛門のおじさんに教わりました。おじさんは、決めたところからはみ出すことを嫌う方でいらしたので、きちっと正方形で教えてくださったものを、正方形で受け取るという感じでした。その後、今回ご一緒する仁左衛門さんや(十二世)團十郎さん、菊五郎さんの五郎蔵でも土右衛門を勤めておりますが、土右衛門のすることはどなたの五郎蔵でも、あまり変わりはありません。

 ――両花道を用いて土右衛門方が本花道、五郎蔵方が仮花道から登場します。この狂言に初めてご出演されたのは、昭和35(1960)年歌舞伎座10月で、五郎蔵方の子分を演じられています。五郎蔵は十一世市川團十郎(当時海老蔵)さんでした。その後、子分を何度か勤められています。五郎蔵方と土右衛門方との渡りぜりふがありますが、あの場面は緊張されるものでしょうか。

『曽我綉俠御所染』御所五郎蔵(そがもようたてしのごしょぞめ ごしょのごろぞう)

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平成27年11月歌舞伎座(C)松竹株式会社

 元は陸奥の浅間家の朋輩だった御所の五郎蔵と星影土右衛門。奥勤めの皐月との不義により暇を出された五郎蔵と、今は傾城の皐月を我が物にしようという土右衛門、因縁の二人が五條坂の廓で出会い、一触即発となるところ、甲屋の与五郎が留めに入ってひとまずは収めました。
 甲屋の座敷には、夫の五郎蔵から、殿様の揚げ代にと借りた200両を、今宵中に返さねば生きてはいられないとの手紙を受けた皐月。話を聞きつけた土右衛門に、五郎蔵に退き状を書けば金を出すと迫られ、やむなく書いて五郎蔵に愛想尽かしをします。激高する五郎蔵を見かねて、殿様の寵愛する傾城逢州がなだめに入りました。手切金も受け取らず、土右衛門に悪態をついて立ち去る五郎蔵。夜も更け、癪を起したという皐月の代わりに逢州が土右衛門と花形屋へ向かうところ、逢州を皐月と思いこんだ五郎蔵が斬りかかり、誤って逢州を殺害してしまいます。やがて五郎蔵は、雌雄を決しようと、土右衛門と斬り結びはじめます。

 若い頃は考えなくてもいいのに、口の中で自分のせりふをあれこれと繰ってしまうんです。すると、突然わからなくなることがありました。今度、7月の歌舞伎座で『加賀鳶』の雷五郎次に出演しますが、やはり順番にせりふを言うのはどれも緊張するものですよ。

どしっと構える土右衛門

 ――「五條坂仲之町」で五郎蔵と土右衛門は、五郎蔵の女房で傾城となっている皐月をめぐって言い争い、一触即発となり、留男の甲屋が仲裁に入ります。土右衛門が仲直りの盃代わり、と言って白扇を投げ、受け止めた五郎蔵はまた投げ返し、今度は土右衛門が受け取ります。本当に投げるわけではなく、その形を見せるのが、歌舞伎らしい様式美ですね。

 そう見えているか、ちゃんとできているかは、わかりませんが、そういうばかばかしさも歌舞伎の魅力の一つです。

 ――「奥座敷」では、土右衛門に指示されての皐月の五郎蔵への愛想尽かしが見せ場となります。

 五郎蔵が登場してからは、土右衛門はひと言、ふた言あるだけで、どしっと構えております。五郎蔵は土右衛門の門弟や皐月とのやりとりで、かっかとしてくるわけです。その後の「廓内夜更」では、五郎蔵に逢州が皐月と間違えて殺されます。土右衛門はドロドロドロで術を使って姿を消します。なんだか得体がしれない男ですよね。

ようこそ歌舞伎へ

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