歌舞伎いろは

【歌舞伎いろは】は歌舞伎の世界、「和」の世界を楽しむ「歌舞伎美人」の連載、読み物コンテンツのページです。「俳優、著名人の言葉」「歌舞伎衣裳、かつらの美」「劇場、小道具、大道具の世界」「問題に挑戦」など、さまざまな分野の読み物が掲載されています。



歌舞伎座「三月大歌舞伎」『於染久松色読販』
今度の舞台を楽しく見るために

ようこそ歌舞伎へ 坂東玉三郎

無駄のない強請

 ――『於染久松色読販(お染の七役)』の「小梅莨屋(たばこや)」と「瓦町油屋」の土手のお六を演じられるのは、平成15(2003)年10月の歌舞伎座以来です。お六は七役のうちのひと役です。

 体力的な問題もあって「莨屋」と、「油屋」の強請(ゆすり)しかできないので申し訳ないのですが、『与話情浮名横櫛』の「源氏店」だけを上演するように、この二場の上演で、毒婦というものを見ていただくのも、あるのではないかと思いました。

 ――「莨屋」には、土手のお六と鬼門の喜兵衛が暮らしています。お六はその昔、七役の一つである奥女中の竹川に仕えていました。喜兵衛も同家中の武士に中間奉公していて二人は駆け落ちした仲です。

 そんなところは、ほとんど芝居のなかに出てきません。そういうところが歌舞伎が飛んでいるところですよね。

 ――「油屋」で、それぞれ違う思惑からお金が欲しいお六と喜兵衛の夫婦は、たまたま莨屋に運び入れられた死体をたねに、弟を殺されたと言いがかりを付けて油屋から金を強請りとろうとします。

 この強請場は無駄がないというのでしょうか、簡潔です。ごちゃごちゃと難しいことは言っていません。結果的に成就しない強請をしているのですが、そこがはっきりとしています。

 それと「油屋」のような場面では、番頭さんとか丁稚とか、周りの役が大事です。周りが楽しくやってくれないと、いくら喜兵衛とお六が強請ってもお芝居として面白くなりませんから。

『於染久松色読販』(おそめひさまつうきなのよみうり)小梅莨屋の場・瓦町油屋の場

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撮影:福田尚武

 小梅で莨屋を営むお六に、恩ある竹川から百両を用立ててほしいとの手紙が届きました。竹川は父の主家の重宝をとり戻そうとしており、恩に報いたいお六が思案を巡らせているところへ、亭主の喜兵衛が帰ってきます。喜兵衛も使い込んだ金の工面を迫られていました。その夜、莨を買いに来た久作と髪結いの亀吉の話を聞いた喜兵衛は、お六が頼まれた袢纏と袷の直し、預かった棺桶の死体を使い、質店の油屋を強請ることを思いつきます。お六とともにさっそく支度にかかりました。

 浅草瓦町の油屋にやって来たお六は、番頭たちに袷を見せて昨日の喧嘩を認めさせると、それが元で弟が死んだと、喜兵衛と二人で死体を前に強請り出しました。その様子を怪しんだのは、油屋の娘のお染と縁談が持ち上がっている山家屋清兵衛。騒ぎを尻目にそっと死体に近づくと…。

後々になってわかってきた南北の独特さ

 ――初演なさったのは昭和46(1971)年6月の新橋演舞場でした。前進座の女方で、「お染の七役」を得意とされた五世河原崎国太郎さんに教わられたとうかがいました。

 初演は、21歳ぐらいですから、作者の鶴屋南北のせりふをどうしゃべるか、(河竹)黙阿弥のせりふとの違いもわかっておりませんでした。その後に南北作品の『四谷様(東海道四谷怪談)』や『桜姫東文章』をやらせていただいたなかで、「南北のせりふの字余り、字足らずはこういうものなんだな」とか、七五調だけで流れて行かないので、意味がお客様に通じるなということもわかってきました。

 ――せりふも面白いですね。

 それこそ泉鏡花とか丸本物(義太夫狂言)とかを経験しているうちに、この言葉の使い方が南北の独特なんだなとわかってくるもので、初演の頃はそんなことはわからず、「こう言うんだよ、ここで切るんだよ」と教えられたとおりに勤めるだけでした。

 ――南北は、ほかにどんな特徴がありますか。

 黙阿弥物のように、常に御簾内の三味線が流れないで無音で芝居をする部分があります。無音のほうがお客様に意味が通じるところがあるんです。油屋の強請のところは無音の部分が少ないですが、『桜姫』の庵室とか、わざと無音の部分をつくってあるんですね。

ようこそ歌舞伎へ

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