歌舞伎いろは

【歌舞伎いろは】は歌舞伎の世界、「和」の世界を楽しむ「歌舞伎美人」の連載、読み物コンテンツのページです。「俳優、著名人の言葉」「歌舞伎衣裳、かつらの美」「劇場、小道具、大道具の世界」「問題に挑戦」など、さまざまな分野の読み物が掲載されています。



歌舞伎座「六月大歌舞伎」『妹背山婦女庭訓』「三笠山御殿」
今度の舞台を楽しく見るために

ようこそ歌舞伎へ 中村時蔵

しんみりとしたいい場面をつくる独吟

 ――お三輪を演じられるのは平成12(2000)年4月の名古屋の御園座以来です。しどころ、心情などをお教えください。お三輪は求女の苧環(おだまき)の糸をたどって御殿にやってきて、官女たちに遭遇し、いじめられます。

 お三輪は何も知りません。入鹿の御殿と知っていたら、入ってはこないでしょう。最初はいじめられていると思っていません。求女に会わせてもらいたさ一心で、官女の言うとおりにします。いじめは官女がしっかりしていれば、お三輪が可哀そうに見えます。長い芝居のなかで、ちょっとおかしみのある場面があって、そこから「竹に雀」になります。よくできていますよね。

 昔は官女に面白い人がいっぱいいました。初役(昭和56年6月歌舞伎座)では、お三輪を教えていただいた成駒屋のおじさん(六世中村歌右衛門)のお三輪で官女をなさっていた歌門さんをはじめ、四郎五郎さんや助五郎さんがいらっしゃり、おじさんのご指示でいろいろやってくださいました。

 ――祝言の酌取りを教えてやろうと言われ、その後は馬子唄を唄えと責められます。馬子唄を「竹にな、雀はな」と唄うところが哀れです。

『妹背山婦女庭訓』「三笠山御殿」(いもせやまおんなていきん みかさやまごてん)

 いまや世の誰もがひれ伏す蘇我入鹿。内大臣の藤原鎌足も臣下になるとの書状を漁師の鱶七に託しましたが、用心深い入鹿は鱶七を人質として御殿に足止めします。そこに帰ってきたのは橘姫。姫を追って恋人の求女も現れました。御殿にいる自分を入鹿の妹と見抜いた求女こそ、兄と敵対する鎌足の長男、藤原淡海と言い迫り、切られる覚悟の橘姫。その覚悟を見た求女は、入鹿が盗んだ宝剣を奪い返すなら夫婦になろうと言い放ちます。橘姫が決心し、二人がその場を離れると、今度は愛しい求女を追う杉酒屋のお三輪が苧環を手にやって来ました。
 求女の内祝言があると聞いて御殿へ乗り込もうとするお三輪を、官女たちはからかい、笑いものにします。奥から祝言の声が聞こえ、このままでは帰れないとお三輪の形相が変わった瞬間、腹を刺したのは鱶七。鹿の血を飲んだ母から生まれた入鹿ゆえ、鹿の血と疑着の相となった女の生き血で正体を失わせ、その隙に宝剣を取り戻し入鹿を滅ぼすのが鎌足の計略で、命を捨てることが求女の手柄になると語りました。鱶七は実は鎌足の忠臣、金輪五郎。求女のためなら死んでもうれしいと、お三輪は苧環を抱いて息絶えるのでした。

 馬子唄では、踊ってしまいがちですが、踊ってはいけません。僕が一番好きなのは官女たちが去った後の独吟のところです。しんみりとしたいい場面です。お三輪が「痛い、痛い」と言いながら、三段を昇り、官女たちに付けられた島台をふっと見たときの感じとか、成駒屋のおじさんは、いい形をなさいました。

 ――お三輪の思いは常に奥にいるはずの求女にあります。

 いつでも上手(かみて)を意識していないといけないと、成駒屋のおじさんもおっしゃっていました。盃事で無理やり、長柄の銚子を持たされたときも、謡の「四海波」を謡うようにと言われ、「千箱の玉をたてまつる」と口にするように責められるときでも、いつも求女さんはいないかと、上手を見て、官女たちに怒られます。お三輪の心にはいつも、求女さんがあります。

ただの嫉妬ではなく、もっと深いもの

 ――お三輪は御殿を立ち去ろうと、花道に行きかけたときに、官女たちの「三国一の婿取った」という声を聞いて思いとどまります。

 官女たちの声を聞き、花道の七三で「あれを聞いては」と振り返ります。今風にいうなら、「切れる」わけで、「疑着の相」になります。ここが一番大切だと思います。それまで、独吟があって長ぜりふがあって、ここでもうひと山くる感じがいたします。

 ――疑着の相とは何でしょう。

 ただの嫉妬が凝り固まった形相でもないんですよね。もっと深いものがあるような顔だと思います。

 ――鱶七から求女の正体を明かされ、その役に立ったのだと聞かされ、苧環を掻き抱いてお三輪は息を引き取ります。

 求女と交換した苧環なので、求女の身替りです。苧環の扱いを大事にするようにと成駒屋のおじさんにも言われました。

ようこそ歌舞伎へ

バックナンバー