歌舞伎いろは

【歌舞伎いろは】は歌舞伎の世界、「和」の世界を楽しむ「歌舞伎美人」の連載、読み物コンテンツのページです。「俳優、著名人の言葉」「歌舞伎衣裳、かつらの美」「劇場、小道具、大道具の世界」「問題に挑戦」など、さまざまな分野の読み物が掲載されています。



巡業「松竹大歌舞伎」中央コース『人情噺文七元結』
今度の舞台を楽しく見るために

ようこそ歌舞伎へ 中村芝翫

初役で難しかった「角海老」

 ――「左官長兵衛内」では、博打(ばくち)で負けた長兵衛が真っ暗な長屋に帰ってきます。

 袢纏(はんてん)一枚だけの借金を抱えている、という看板を掲げているような姿です。コミカルに、喜劇チックにやるのはいくらでもいけますが、そこにいかない微妙なところが芝居の難しさ。長兵衛は、暗いので「鼻つままれたってわかりゃしねぇや」と怒り、お兼は、もし娘のお久がいなくなったら自分は出て行くと応じます。ですが、お兼は決して出て行かず、絶対に長兵衛と一緒にいるはずです。

 ――「角海老内証」で、長兵衛は娘のお久に会い、吉原の大店である角海老の女房お駒に50両を融通してもらいます。

 僕はお久が最初はどこにいるのかわからず、内証(廓の主人部屋)に入り、ふっと見たときに気付くように演じています。僕もそうですが、親というのはいつまでも我が子が、精神的にも幼くて親の支配下にいるものだと思っている。ところが、子どもは知らない間に知恵もつき、背丈も伸び、親を越えていくんです。ここでの文七とお久の関係はそういうことです。

 初役では、「角海老」は難しかったですね(平成29年12月ロームシアター京都)。本当に呼吸をしている人間がそこにいないといけないんですよ。足が痺れたという動作をしますが、そこもあまりコミカルにしてもいけない。足が痺れるぐらい会話に没頭したということですから。

 お駒が、長兵衛が仕事をしに来ているときに、お久が弁当を届けにきていたという昔話をするのでも、光景がお客様の頭の中に浮かぶように勤めます。長兵衛は汚い格好をしているが、実はしっかりした職人だというところもお客さんに印象付けないといけません。

『人情噺文七元結』(にんじょうばなしぶんしちもっとい)

撮影:松竹写真室(平成29年12月ロームシアター京都)

 真っ暗な貧乏長屋へ帰ってきたのは左官長兵衛。娘のお久が朝からいないと大騒ぎで困り果てたお兼と、博打に負けて印半纏一丁の長兵衛がののしり合いの喧嘩になったところへ、角海老の藤助が女将の伝言をもって来ました。お久が店に来ていると聞き、お兼の着物を剥ぎ取って駆け出す長兵衛。
 吉原の角海老女房お駒は、身売り奉公して親に年越しの金を用意し、博打と酒をやめてほしいと願うお久の心に打たれたと、50両を用立てました。そして、翌年3月まではお久を店に出さずに待つから精出して働くようにと長兵衛を諭します。長兵衛はお駒とお久に感謝して心を入れ替えると誓い、金を懐に店を出ました。
 ところが、帰り道で身投げしようとする文七に出くわした長兵衛は、事情を聞いて懐の50両を無理やり文七に渡してしまいます。帰りを待っていたお兼は長兵衛の話を信じず、また大喧嘩。と、そこへ身なりのいい和泉屋清兵衛が玄関口に現れました。傍らには文七。清兵衛が事の顛末を語り始めました…。

娘を持つ父親として文七に接する

 ――「大川端」で長兵衛は、身投げしようとしていた文七を助けます。

 花道を入ろうとして文七の雰囲気のおかしさに気付きます。50両の金を手にしたら、早く家に持って帰りたいところですが、そこが長兵衛の人柄です。また、長兵衛は、お久という娘は育てましたが、男の子を育てたことはない。だから、どう接していいのかわからないところがあるはずです。娘を持つ父親が文七に接しているんだ、というのは忘れないようにします。

 文七に50両の包みを投げつけて花道を入るときは、お久のことで頭がいっぱい。泥水に入ったって死にはしないと言ったって、お駒に金を返さなければ店に出すよと言われているわけです。大切なのは「人の命は金じゃ買えねぇ」という長兵衛のひと言です。

 ――「元の長兵衛内」は、50両を失った長兵衛がお兼に罵倒されているところから始まります。

 50両をどうしたんだとお兼は怒ります。人は真剣になればなるほどおかしい。「言ってごらん言ってごらん」とお兼が長兵衛に迫るところもそうです。

 和泉屋清兵衛に連れられて文七が出てきて、お礼を言われ、命が助かったことを知った長兵衛は駆け引きなしにうれしい。人に優しくしたり、助けてあげたりすれば、いつかは自分に返ってくる、そういうことだと思います。また長兵衛さんは、そんなことを信じている人だと思います。

ようこそ歌舞伎へ

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