歌舞伎文様考

セルリアンタワー能楽堂(禁無断転載)
文様に生命を注ぎ込む舞台の魔力
今回の公演を見てあらためて感じたのは、歌舞伎の舞台空間には日本の様々な文様が凝縮されているということです。劇空間に身を置き、こうした文様をたどってゆくと古の人々の生の感情さえ伝わってくるかのようでした。
歌舞伎の文様はただの装飾ではなく自然の営みに自らを重ねたり、超自然的な力に神性を見いだしたりする心を表しているのではないでしょうか。そうした日本人特有の繊細な感情が文様の基盤になっているように思います。
『信濃路紅葉鬼揃』もそうですが、歌舞伎には幽霊や霊鬼、神仏や妖怪などが登場する作品が多く残っています。能の影響もあるのでしょうが、こうした霊体はまず現実の姿を借りた化身として現れ、その後、本来の姿を現します。
霊界から現実へ、現実から霊界へと、生と死の境目を行き来する霊性のゆらめきが重要なのです。つまり目に見えないものを見えるものにする仕掛けが必要で、文様もその役割を果たしています。
私たちが日常生活のなかでは忘れている自然への深い感情や超自然的な感覚を文様の集積と運動は浮かびあがらせてくるのです。
江戸時代の芝居小屋の絵を見ると、櫓が正面に設けられています。櫓は能の鏡板に似た性格を持つと言われます。鏡板の絵はもともと春日若宮の影向の松を写したもので、祭の時、そこに神が降臨します。昔から神は高所を足掛かりに降臨し、社に入るのです。櫓も同様で、古い絵では、櫓に松の絵を描いた幔幕が張り巡らされています。このことは芸能と神事の深い繋がりを明示しています。文様もまたそうした精神のもとに無限のパターンを生み出し続けてきたのでしょう。
伊藤俊治

伊藤俊治
1953年秋田生まれ。東京藝術大学先端芸術表現科教授、美術史家・美術評論家。美術や建築デザインから写真映像、メディアまで幅広い領域を横断する評論や研究プロジェクトをおこなう。装飾や文様に関する『唐草抄』や『しあわせなデザイン』など著作訳書多数、『記憶/記録の漂流者たち』(東京都写真美術館)『日本の知覚』(クンストハウス・グラーツ、オーストリア)など内外で多くの展覧会を企画し、文化施設や都市計画のプロデュースもおこなう。『ジオラマ論』でサントリー学芸賞受賞。
歌舞伎文様考
バックナンバー
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『助六由縁江戸桜』では傾城揚巻が豪華な打掛を脱ぐと、真っ赤な着物に金色の豪華な火焔太鼓があしらわれ観客の目を奪います。これも火焔文様がモチーフ。
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話題の作品の衣裳を手がけ続けてきたコスチューム・アーティストのひびのこづえさんと、東京藝術大学先端芸術表現科教授の伊藤俊治さんとの対談です。
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第9回 歌舞伎舞踊—物語を文様から読み解く
今回は美しい衣裳の変容で魅せる「舞踊」に注目します。変化する衣裳、そこに描かれた文様のひとつひとつには、物語を際立たせる意味がありました。
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今回は江戸歌舞伎を象徴する「荒事」に注目します。荒ぶる魂がほとばしる、そのルーツを文様や勇壮な衣裳に探します。
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第5回 絢爛な衣裳を彩る文様
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第3回 「大道具」役者と道具方との対話
武家屋敷や御殿にはたくさんの文様が散りばめられています。様々な文様は俳優と道具方の密な関係によって歌舞伎が創られてきたことを物語ります。
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第2回 「劇場」芝居の歴史と気分を語る文様
歌舞伎を、そして劇場を文様で読み解く新趣向の知的探訪。本日は東銀座の歌舞伎座を訪れました。
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第1回 「序章」歌舞伎は文様のデータベース
歌舞伎の衣裳や大道具、役者紋などから様々な文様をとりあげ、江戸が生んだ最先端デザインに注目。文様に秘められた物語を発掘します。