緑彩花文敷瓦(伝東大寺敷瓦) (株)INAXライブミュージアム蔵

1枚のタイルの物語『伝東大寺敷瓦』

 古くはエジプト、メソポタミアの建造物にもその存在が確認されている文様。

 人類が歩んで来た長い歴史の中で、文様はそれ自体が生命を持つがごとく長く茎葉を伸ばし世界中に広がってきました。その文様の歴史に欠かせないのがタイルを中心とした陶板です。

 今回はINAXのタイル博物館に所蔵されている貴重な作品の中から、8世紀のものとみられる敷瓦をご紹介します。

 『敷瓦』とは寺院建築などで床に敷かれる瓦のことで、日本での床タイルの原点とも言われています。

 敷瓦が日本に伝わってきたのは6世紀のことで、仏教が大陸から伝わった半世紀の後に百済より4人の瓦博士が渡来したと「日本書記」に記されています。この瓦博士の指導を受け、日本の須恵器工人が動員されて瓦を造り、初めて国産の屋根瓦を使ったのが飛鳥寺だといわれています。その後瓦は屋根だけでなく床にも敷かれることとなり、607年に建立された法隆寺にも黒色の敷瓦が使用されました。

 今回紹介する東大寺(751年大仏殿完成)のものと伝えられる1枚は、唐風唐花文様の緑彩があしらわれ釉薬が施された最初期の敷瓦です。これは装飾が施され、タイルのように使われた床材として残るものでは我が国最古のものと言えます。

 高松塚古墳壁画などに代表されるように、日本には壁や天井を装飾する文化があったことはよく知られています。ところが8世紀以前の床の装飾事例はほとんど残っていません。おそらく当時の床素材は木や土を使っていたため、磨耗や風化で失われてしまったからだと考えられています。

 宗教建築において建築物を装飾することは必然でした。しかし床にも文様を敷き詰め装飾することのできた敷瓦の登場は耐久素材としても歓迎されたのではないでしょうか。

 この1枚の敷瓦が連なり美しいアラベスク文様を織りなす1200年前の寺院の光景を目に浮かべ、日本人に脈々と流れる美意識をひととき感じてはいかがでしょうか。

文:愛知県常滑市INAX ライブミュージアムものづくり工房 後藤泰男

写真協力・(株)伝統文化放送

歌舞伎文様考

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