歌舞伎文様考
風景が演技をする“動く文様”
道具帳を見てゆくと、その水の描き方の多彩さに驚かされます。歌舞伎では中でも多くの水の動きや形態が抽象化され、文様化されています。その水の流れは尾形光琳の“流れ水”を連想させる美しいフォルムで現されています。
伊藤「水の文様には様々な描写法がありますが?」
長谷川「川の水を描く時はほとんど浪を描きません。外海に出るに従って波が立っていくのが通常の様式です。また宮戸川の三社祭の水平線を描く時は水面にハッキリと銀を塗るんです。なぜそうするのか説明が残っているわけではないのですが、大道具方には自然に身に付いている技法です」
伊藤「水の文様の中でも私が特に興味を持ったのは『妹背山婦女庭訓』の大道具です。川の流れが描かれた“滝車”という仕掛けが動くことで、文様に動きを与えていますよね」
長谷川「その通りです。ただ、歌舞伎では水の文様を動かすのにも決まりがあります。この芝居は文楽が元になったもので、文楽の大道具では角材に水布を巻いたものを回転させています。ところが同じ道具を作ると歌舞伎の舞台では目立ち過ぎてしまうため、丸太にして、しかも役者が舞台に出ていない時しか動かしません」
伊藤「俳優が舞台で芝居をしている時は一幅の画のような美しさとしてそれを引き立て、舞台に俳優がいなくなったら大道具自体が動き、情景を雄弁に物語る役割があるんですね」
歌舞伎の大道具では文様をただ典雅で上品な美意識として留めておくのではなく、より広い大衆の嗜好や感覚に訴えるために、趣向を凝らしながら進化してきました。水の流れのデザインひとつにも、芝居心をかきたてる技術が結晶化されています。
“動く文様”の演出が芝居にダイナミズムを与えている演目に『平家女護島俊寛』があります。この演目では鬼界島という南海の孤島に打ち寄せる荒れる波が、回り舞台全体でダイナミックに表現されます。また花道では足元にひたひたと寄せる波を遠くから糸で浪布を引く手法で表現する。“流れる水”や“寄せる水”など文様化された水に動きを与える工夫が多彩に凝らされています。
こうした水の描き分け方には四方を海に囲まれ、河川をよりどころに水と親しんできた日本人特有の繊細な自然感情が秘められているのではないでしょうか。そしてそこには何代にも渡って文様を生命化しようとしてきた歌舞伎大道具師の心意気のようなものを感じとることができます。
歌舞伎文様考
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