歌舞伎文様考

制作現場で継承される文様の美
伊藤「大道具の描き方や細かい文様は、ひとつひとつ見本が残されているのですか?」
長谷川「ご覧いただいている道具帳が描かれたのは昭和に入ってからのことですから、それまでのものはほぼ口承です。道具帳があるものでも、細かい文様ひとつひとつの見本はありませんから経験と知識が頼りです」
伊藤「花丸(はなのまる)にしても雲にしても、この演目ならこれをというのが大道具方の身体の中に入っているということなんですね」
長谷川「その通りです」
伊藤「歌舞伎の大道具はそれ自体が完成された絵画のように美しく描かれなければなりませんよね。やはり描き手は専門職ですか?」
長谷川「そうです。専門の絵描きが担当します。三代目小貫春陽の最後の弟子で歌舞伎座舞台の役員の後藤芳世(※3)は75歳になりましたかねえ。まずは色の調合から修行を始めて、さや型や御殿の御簾といった直線的な絵柄から描き始めます」
歌舞伎大道具方の制作現場には、師匠から弟子へと手法が継承されるクラフトマンシップが現在も生きています。
長谷川「例えば色を調合するにも使うのが大量だからバケツですよね。さあ、描くぞって時に、バケツにどんな色を何杯用意すればいいのかを憶えてなくちゃならない。『京鹿子娘道成寺』だったら、書割には一面の桜が描かれるでしょ。あの桜も手前の桜は濃いピンクで、奥に行くに従ってどんどん淡い色になります。その分量を完全に憶えたところでやっと描かせてもらえる」
伊藤「グラデーションの桜で埋め尽くされた風景は、文様づくしと同じような効果があるのでしょうか?」
長谷川「役者を引き立たせるために桜で埋め尽くすんですよ。『京鹿子娘道成寺』は“引き抜き”と言って、俳優が舞台上で何度も衣裳を変えます。背景が桜だからこそ、衣裳が一瞬にして変わる瞬間が引き立つんですよ」
歌舞伎は大道具と一体化して進展してきました。能に比べると歌舞伎は舞台いっぱいに大道具を飾り、様式的な絵画美を生み出すことが基本です。空間を大道具で囲いこみ、拡げるというより凝縮して虚構世界を絵画的につくりこんでゆく。“定式”と呼ばれる大道具の成り立ちには、長い歴史の中で大道具師の身体に刻み込まれた技巧が宿っているのです。
後藤芳世(※3)
歌舞伎舞台の背景画の第一人者。日本美術院特待

伊藤俊治
1953年秋田生まれ。東京藝術大学先端芸術表現科教授、美術史家・美術評論家。美術や建築デザインから写真映像、メディアまで幅広い領域を横断する評論や研究プロジェクトをおこなう。装飾や文様に関する『唐草抄』や『しあわせなデザイン』など著作訳書多数、『記憶/記録の漂流者たち』(東京都写真美術館)『日本の知覚』(クンストハウス・グラーツ、オーストリア)など内外で多くの展覧会を企画し、文化施設や都市計画のプロデュースもおこなう。『ジオラマ論』でサントリー学芸賞受賞。
歌舞伎文様考
バックナンバー
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第14回 火焔文様 〜内に秘めた荒ぶる魂
『助六由縁江戸桜』では傾城揚巻が豪華な打掛を脱ぐと、真っ赤な着物に金色の豪華な火焔太鼓があしらわれ観客の目を奪います。これも火焔文様がモチーフ。
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前回に続き、話題の作品の衣裳を手がけ続けてきたコスチューム・アーティストのひびのこづえさんと、東京藝術大学先端芸術表現科教授の伊藤俊治さんとの対談です。
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話題の作品の衣裳を手がけ続けてきたコスチューム・アーティストのひびのこづえさんと、東京藝術大学先端芸術表現科教授の伊藤俊治さんとの対談です。
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第8回 荒事—荒ぶる魂を現す文様
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第6回 役者紋を纏う
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第5回 絢爛な衣裳を彩る文様
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第4回 “演技する”文様
十七代・長谷川勘兵衛さんを訪ねての対話から、文様に込められた役者と道具方との息の合った舞台創り、受け継がれる文様の美を紐解きます。
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第3回 「大道具」役者と道具方との対話
武家屋敷や御殿にはたくさんの文様が散りばめられています。様々な文様は俳優と道具方の密な関係によって歌舞伎が創られてきたことを物語ります。
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第2回 「劇場」芝居の歴史と気分を語る文様
歌舞伎を、そして劇場を文様で読み解く新趣向の知的探訪。本日は東銀座の歌舞伎座を訪れました。
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第1回 「序章」歌舞伎は文様のデータベース
歌舞伎の衣裳や大道具、役者紋などから様々な文様をとりあげ、江戸が生んだ最先端デザインに注目。文様に秘められた物語を発掘します。