左より:『堂島救入浜』春好斎北洲画(鎌輪ぬ文様)、『侠詞花川戸』春好斎北洲画(高麗屋格子)、『いろは仮名四谷怪談』杉山秀麿画(菊五郎格子)、『難有御代賀絵』歌川豊国画(三津大縞)、4点とも上方浮世絵館蔵 禁無断転載

役者の人気が生み出した多様なデザイン

 家の芸を象徴する「定紋」に対し、役者個人への熱狂や感情移入を加速させたのが「役者紋」です。楽屋着や手ぬぐいなど、くだけた使い方をされることが多い役者紋は江戸庶民の間で大流行しました。好きな役者とお揃いのものを身につけたいというファン心理は現代にも脈々と受け継がれていますが、それが役者の個性をデザインした紋であるところに江戸っ子の粋を感じます。

 役者紋は洒落や語呂合わせといった独自のデザインを生み出しました。中でもよく知られているのが「鎌輪ぬ(かまわぬ)文様」と「斧琴菊(よきこときく)文様」ではないでしょうか。

 「鎌輪ぬ文様」は、「鎌」「○」「ぬ」の三文字で「構わぬ」と読ませ、荒ぶる江戸っ子の心意気を表しています。もともとは元禄時代の町奴たちが「火も水もいとわず身を捨てて弱き者を助ける」という心意気を宣言するデザインとして身につけたのが始まりだと言われています。一時廃れていたものを復活させたのは七代目市川團十郎です。大柄の文様を染め抜いた着物はおおらかな芸、勇壮な姿と相まって観客を魅了し、爆発的に流行しました。

 一方、七代目市川團十郎と同時期に活躍した三代目尾上菊五郎が愛用したのが「斧琴菊文様」です。自分の名にある菊が入った三つの文様を組み合わせ「良き事聞く」と読ませるデザインは、吉祥文様として縁起を担ぐのが好きな江戸っ子に愛されました。

 江戸時代は幾度もの奢侈禁止令で庶民が派手な着物を着ることを禁止されていました。ところが中期をすぎた頃から歌舞伎役者が舞台で多様する縞模様がシンプルな洒落着として人気を博します。役者の名前を縞とともにデザインした文様も続々と生まれました。

 初代中村芝翫が、四本縞の格子に鐶(かなわ)繋をあしらい「四つの鐶」で「芝カン」と読ませた芝翫縞。

 三、五、六の縞を縦横に交差させ「三五六」で三津五郎と読ませた三津五郎縞。

 縦三本、横三本の縞に「中」と「ら」をあしらった中村格子。

 高麗屋格子は、松本幸四郎が舞台の衣裳で身につけたもので、太い線と細い線を組み合わせたデザインのよさが庶民の間で流行しました。

 名前をグラフィカルに表現する文様は世界にもあまり例がありません。暗号のようなデザインを読み解くという行為は、流行を発信する役者と受け手の観客の距離の近さを感じさせます。


鎌輪ぬ文様


斧琴菊文様


芝翫縞


三津五郎縞


中村格子


高麗屋格子



歌舞伎文様考

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