『和製ヴィクトリアンタイル 多彩草花文レリーフ』(株)INAXライブミュージアム蔵

一枚のタイルの物語『和製ヴィクトリアンタイル 多彩草花文レリーフ』

 古くはエジプト、メソポタミアの建造物にもその存在が確認されている文様。
 人類が歩んで来た長い歴史の中で、文様はそれ自体が生命を持つがごとく、長く茎葉を伸ばし世界中に広がってきました。その文様の歴史に欠かせないのがタイルを中心とした陶板です。

 INAXのタイル博物館に所蔵されている貴重な作品の中から、今回ご紹介するのは『和製ヴィクトリアンタイル 多彩草花文レリーフ』です。

 1770年代、イギリスは産業革命によって世界の最強国として繁栄しました。その絶頂期がヴィクトリアン女王治世の1837年からおよそ70年間です。タイルの製造も、この次期に躍進を遂げます。プレス機や印刷機械の発明によって生産能力が増大し、衛生的な素材を求める機運と相まって普及しました。さらにこの時代、アールヌーボーなどの装飾様式を取り入れた芸術性の高いヴィクトリアンタイルが誕生し、明治時代の日本にも欧米人の住居用の建築素材として輸入されました。

 西洋のモダンなデザインが施された、色鮮やかなヴィクトリアンタイルは、暖炉周りや玄関の床、公共スペースの床やトイレの床などに使用されていたようです。装飾性に加え、耐火性、耐水性という機能を兼ね備えた建築素材は当時の日本において画期的なものでした。

 西洋建築における「暖炉周り」は日本建築の「床の間」とよく比較されます。耐火性と装飾性を兼ね備えたヴィクトリアンタイルを見た日本の設計者たちは、日本でもヴィクトリアンタイルを作りたいと望みました。

 ところが、国産のヴィクトリアンタイルは容易ではありませんでした。原料の調合、製造技術や窯業技術を一から学ばなければならなかったからです。明治維新の後、日本で産業の近代化が進む中でタイルの製造技術を向上させたのがドイツ人化学者のワグネル博士です。試行錯誤を繰り返し、国産第一号のヴィクトリアンタイルが誕生したのは明治40年代のことでした。それだけ長い年月がかかったのです。

 ヴィクトリアンタイル調の意匠を模した、転写や浮彫りなどの装飾をまとったタイルは、明治末から大正初期にかけて西洋建築や銭湯に多用され、壁面を美しく飾ります。ところが大正の中頃には衛生面が重視され、銭湯に白色を主体とするタイル張りが普及します。そこから徐々にトイレや浴室など水周りの壁や床に白いタイルが使われるのが一般的となっていったようです。

 谷崎潤一郎の「陰影礼賛」という作品の中にこんな一説があります。浴槽や流しにタイルを張ることを「できたてのうちはまだいいが追々年月が経って、板や柱に木目が出て来た時分、タイルばかりが白くつるつるに光っていられたら、それこそ木に竹を接いだようである。」谷崎潤一郎は白いタイルを衛生面を重視した無味乾燥な素材だと思っていたのでしょうか。

 近代、「タイル」は衛生耐久素材としての機能だけが重要視され、白い四角い陶磁器の板というイメージが定着してしまったようです。

 この『和製ヴィクトリアンタイル 多彩草花文レリーフ』は、タイルが日本に輸入された当初、西洋の美意識を封じ込めた装飾素材として、憧れの対象だったことを改めて思い出させてくれる一枚です。

文:愛知県常滑市INAX ライブミュージアムものづくり工房 後藤泰男

写真協力・(株)伝統文化放送、松竹衣裳(株)

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