力そのものの表出を示す聖なる文様

伊藤俊治

 二代目市川左團次がロシアで『鳴神』を演じた時、鳴神上人が雲の絶間姫の誘惑により堕落させられ、聖僧から破戒僧へと一変する性格変化を、清浄な白衣から火焔文様の衣装へのぶっ返りで表したことが強烈な印象を与えました。歌舞伎は衣裳まで表情を変えると絶賛されたという逸話が残っています。
 『雷神不動北山櫻』は不動明王降臨の場で締め括られますが、例えば不動明王像の光背は、強風に煽られ、めらめら燃え盛る劫火のごとき、あらゆる悪業を焼き尽し清澄の世界を現出させようとする炎が描きだされています。このように雷文や火焔文は現世のものとは思えぬ超自然的なものを表し、荒事の主人公を際立たせる特別な役割を果たしているのです。
 ある意味でそれは、力そのものの表出を示す聖なる文様だと言ってもいいのかもしれません。


伊藤俊治

伊藤俊治
1953年秋田生まれ。東京藝術大学先端芸術表現科教授、美術史家・美術評論家。美術や建築デザインから写真映像、メディアまで幅広い領域を横断する評論や研究プロジェクトを行なう。装飾や文様に関する『唐草抄』や『しあわせなデザイン』など著作訳書多数、『記憶/記録の漂流者たち』(東京都写真美術館)『日本の知覚』(クンストハウス・グラーツ、オーストリア)など内外で多くの展覧会を企画し、文化施設や都市計画のプロデュースも行なう。『ジオラマ論』でサントリー学芸賞受賞。


歌舞伎文様考

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