『絵瀬戸草花文(えぜとそうかもん)敷瓦』(株)INAXライブミュージアム蔵

一枚のタイルの物語『志野釉菱重ね文(しのゆうひしかさねもん)敷瓦』

 古くはエジプト、メソポタミアの建造物にもその存在が確認されている文様。人類が歩んで来た長い歴史の中で、文様はそれ自体が生命を持つがごとく、長く茎葉を伸ばし世界中に広がってきました。その文様の歴史に欠かせないのがタイルを中心とした陶板です。

 今回はINAXのタイル博物館に所蔵されている貴重な作品の中から、『絵瀬戸草花文敷瓦』をご紹介します。

 白地に青色の絵が描かれた磁器は「染付」と呼ばれ、江戸時代の終わりから明治時代にかけて、日本人だけではなく西洋の人たちにも「ブルーアンドホワイト」という名で愛されました。

 そのルーツは13世紀〜14世紀頃の中国に遡ります。景徳鎮(けいとくちん)で白地に青色で柄が描かれた「青花」と呼ばれる磁器が生まれ、この製法が17世紀はじめに日本の有田に伝わり有田で「染付」の磁器生産が盛んになりました。この有田の「染付」が、当時西洋で唯一国交のあったオランダの人たちによって欧州にもたらされたのです。

 世界中を虜にした流行の「染付」は、有田から遅れること200年後の19世紀初頭に瀬戸に伝わります。瀬戸の陶工加藤民吉が有田からその製法を伝えると、有田にも劣らない精緻で絢爛豪華な染付磁器を中心とする生産が行われていました。これを「瀬戸染付」と呼んでいます。

 白と青で写実的で細かい画風を実現した瀬戸染付は、明治時代に欧米にも大量に輸出され、後のアールヌーボーにも影響を与えました。陶磁器を「せともの」というのはこの時代、国内外に瀬戸染付が大量に流通したからだと言われています。

 今回紹介する敷瓦は、「写実的な」という表現は不適切かもしれない草花の絵が描かれた作品ですが、江戸の幕末期のものと推測されます。描かれている素地は白い釉薬が掛かってはいますが、一部の釉薬が剥げ落ちており、完全な磁器とはいえないものです。鎌倉時代に始まったとされる窯元「瀬戸」の陶工たちが、有田の染付磁器を模して試行錯誤し始めた頃の歴史を物語る貴重な一枚です。この後、「瀬戸染付」が世界中に知れ渡ることになるとは、当時の陶工たちは夢にも思わなかったことでしょう。

文:愛知県常滑市INAXライブミュージアムものづくり工房 後藤泰男

写真協力・(株)伝統文化放送、松竹衣裳(株)

歌舞伎文様考

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