歌舞伎文様考
和事衣装の色が物語るもの
江戸時代の上方、いえ日本の代表的な作家、近松門左衛門が歌舞伎に力を注いだ約10年の間、その四分の三の作品は坂田藤十郎のために書かれたものだそうです。近松の代表作『曽根崎心中』の初演は人形浄瑠璃で、当時、歌舞伎はあまり上演されず、昭和になって復活上演されました。『曽根崎心中』の衣裳は、近松門左衛門が戯曲を書いた時代の大坂の生活を考証しながら、現代に生きる和事のエッセンスを加味し色や文様が選ばれたと言われています。お初が廓の場面で纏うのは、朱色の着物に赤い襦袢の襟をのぞかせ、裾を濃い紫色のグラデーションに染め上げた玉子色の打ち掛け。これだけの色を重ねながらもきつく見えないのは、同系色の中間色を重ねているからです。暖色の多様には、お初の初々しさを引き立てる、つまり“若く見せる”効果もあるそうです。
赤や緑といった元気のよい原色とは違い、この和事の代表作『曽根崎心中』の衣裳には朱色や藤色、玉子色といったやわらかな中間色が組み合わせられ、独特な雰囲気を醸し出しているようです。色が重要な演出効果を果たしているのでしょう。
中間色の組み合わせは和事の「はんなり」によく合い、そのこころを象徴するかのようにも思えます。近松門左衛門作の主人公たちの、江戸っ子とは異なるはんなりとした気性、雰囲気を柔らかい色の着物が引き立てます。
和事の衣裳に注目して見ると、実に細かいところに趣向が凝らされていることが分かります。例えば、男性の主人公が着ている縞模様の色合いも、同じように見えながら役柄の特徴や演じる俳優の年令、趣向によって違うと言います。
『恋飛脚大和往来』「封印切」の場面で亀屋忠兵衛が着ている着物は、よく見ると赤と黒、浅葱色が細かく組み合わされた縞模様です。この縞1本1本の太さ、使われている色のバランスによって実は忠兵衛の性根を芯が強い人間に見せたいか、もろく見せたいかが大きく変わると言います。忠兵衛を演じる俳優は、事前に衣裳方と相談をし、その時に演じる忠兵衛のイメージに一番合った縞の着物を選ぶのだそうです。
また和事に用いられる衣裳は袖口に縁取りのように色を入れるのも特徴です。細部に宿る巧みな色の組み合わせに注目して歌舞伎を観たら、また違った発見があるかもしれません。

玉子色縮緬藤色暈立涌梅柄裲襠(たまごいろちりめんふじいろぼかしたてわくうめがらうちかけ)。上下とも『曽根崎心中』北新地天満屋の場天満屋お初の衣裳

朱色縮緬梅友禅着付(しゅいろちりめんうめゆうぜんきつけ)

納戸色縮緬白棒縞着付(なんどいろちりめんしろぼうじまきつけ)、納戸色縮緬小紋羽織。『恋飛脚大和往来』封印切りの場、亀屋忠兵衛の衣裳
歌舞伎文様考
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