歌舞伎は生きた文様のデータベース 〜伝統が紡ぎ出す物語〜

 前回に引き続き、今年8月の納涼大歌舞伎で上演された『野田版 愛陀姫』を始め、ひびのこづえさんが手がけた歌舞伎衣裳にまつわるエピソードを伺います。伝統の文様やデザインが生き続ける歌舞伎の世界に新しい風を吹き込むのは試行錯誤の連続。そこから新しいものが生まれるのだと言います。

伊藤 「美濃の国主である斎藤道三は“蝮(まむし)”の異名を持つという設定でしたが、長く引きずった衣裳の裾に描かれた蝮のデザインは圧巻でしたね。その裾が旗のように高く掲げられると文様に動きが出る、考えられた衣裳の演出だと思いました」

ひびの 「衣裳のデザインにあたってまずはオペラの『アイーダ』を見たんです。あの時代の衣裳は男の人でも後ろの裾が長くて、動く度にそれがフワっと翻るようになっているんですね。斎藤道三の衣裳には、彼の位の高さを見て感じてもらえるようにその動きを取り入れたいと思いました」

伊藤 「普段の歌舞伎衣裳にはないパターンやデザインですから、大変だったでしょう?」

ひびの 「そうですね。まず『裾を翻す衣裳でいきたい!』と決めたはいいのですが、歌舞伎では位の高い男性が裾を自分で翻すようにして動くこと自体が自然ではないということを教えられました」

伊藤 「形や文様の新しさだけではなく、しきたりや文化が衣裳の中に生き続けているということですね」

ひびの 「ええ。ですから歌舞伎の衣裳を創り上げる過程では、日本の文化や人々の暮らしぶりを再発見することの連続なんです。今回の斎藤道三の衣裳も、自分で裾を翻さないならば後ろに従者をつけて棒で高く裾を掲げる方法でどうか、と話し合いを重ねながら作っていきました」

伊藤 「衣裳で高さを表現したのはオペラの影響だけでなく、歌舞伎の横長の舞台に対する視覚効果も狙ったのですか?」

ひびの 「結果としてそうなったと思います。今回の新作は群衆がたくさん出て来る凱旋式のシーンがあるとまず聞いていたので、華やかさや儀式性を表現するために緞帳や屏風をイメージさせる衣裳はどうですかと野田さんに提案したんです」

伊藤 「歌舞伎の衣裳は施された文様がその衣裳を身につける人物の素性を物語ったり、ストーリーの鍵となる“意味”を持つものが多いですよね。そこは意識しているのですか?」

ひびの 「意識というよりも毎回教えられています(笑)。今回も斎藤道三の衣裳は始め、襟まで蛇の柄を描いていたんです。そのデザインを元に打ち合せをしている時に衣裳さんから『ここを鱗柄にしてはどうか』と提案していただきまして…まさに目からウロコでした!日本人が文様に込めてきた意味を知れるのは、歌舞伎衣裳に挑戦する大きな醍醐味のひとつです」


『野田版愛陀姫』斎藤道三衣裳ひびのさんのデザイン画


『野田版愛陀姫』斎藤道三衣裳ひびのさんのデザイン画(裾を高く掲げた時)


【鱗文様】
三角形を上下左右に連続して配した幾何学的な文様。連なる三角形を魚や蛇の鱗に見立てて名前がつけられたと言われている。古くは古墳の装飾壁画や埴輪にも見られるこの文様は、室町時代頃には能装束に用いられ鬼女や蛇体を象徴するようになった。歌舞伎の舞台では『京鹿子娘道成寺』で蛇体となった清姫の衣裳に用いられている。



歌舞伎文様考

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