鳴神上人 三代目歌川豊国画
国立国会図書館蔵。無断転載禁

シルクロードを経て日本に伝わった火焔文様

 ゆらめくキャンドルの炎を、ついついじっと見てしまうことはないでしょうか。
 炎は、一定の形や型を持つわけではなく、人間の喜怒哀楽の表情のように千変万化し、まるで見る者の感情や心の様を反映するかのように生命感溢れる気配をかもし出します。火焔文様はそんな燃え盛る炎を文様化したものです。だからこそ歌舞伎の舞台にはうってつけなのかもしれません。
 2008年の正月に通し狂言で上演された『雷神不動北山櫻(なるかみふどうきたやまざくら)』での鳴神上人の柱巻きの見得の場面や、不動明王降臨の場ではこの火焔文様が効果的に使われていました。

 もともと火焔文様は、西アジアを期限とする拝火教(ゾロアスター教)の聖火信仰から生まれたとも言われています。その流れがやがてシルクロード沿いに伝わり、仏菩薩の放つ光明をシンボライズするものとして仏像の光背に取り入れられるようになり、以来、仏教美術においても数多く使われてきました。
 例えば法隆寺金堂の釈迦三尊の光背は、中央の蓮華文様、その周りの忍冬唐草文様、さらにその外側の火焔文様という三段構成の静的な炎を立ち上がらせ、中国の北魏様式の伝承とされています。また法隆寺夢殿の救世観音の光背はそれより新しい飛鳥様式のもので、風になびき吹き流れるような微妙な動感を秘めています。さらに時代が下ると、平安時代の不動明王や金剛夜叉明王などの光背は万物を焼き尽すかのような荒れ狂うダイナミックな炎となり、人々の煩悩を鎮め、災いを振り払う意味を持つようになります。
 荘厳さや厳粛性を強く感じさせる性質が宗教的な感情と合致したのでしょう。このように、火焔文様は時代によって揺らめき、変化し、その時代時代の精神を新たに浮かび上がらせていったのです。



歌舞伎文様考

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