『志野釉菊文敷瓦』(株)INAXライブミュージアム蔵

一枚のタイルの物語 『志野釉菊文敷瓦』

 古くはエジプト、メソポタミアの建造物にもその存在が確認されている文様。
 人類が歩んで来た長い歴史の中で、文様はそれ自体が生命を持つがごとく、長く茎葉を伸ばし世界中に広がってきました。その文様の歴史に欠かせないのがタイルを中心とした陶板です。

 今回はINAXのタイル博物館に所蔵されている貴重な作品の中から、『志野釉菊文敷瓦』をご紹介します。

 今回はINAXのタイル博物館に所蔵されている貴重な作品の中から、『志野釉菊文敷瓦』をご紹介します。

 このタイルは、過去にも何度か紹介しました千利休や古田織部といった茶人が好んで使用した茶室の風炉の敷板とした敷瓦です。天正年間に美濃の陶工たちが作り出したと伝えられている志野釉は、粗い素地の上に長石と呼ばれるガラスの原料となる石を粉砕して水と一緒に塗りつけて焼いたもので、釉薬の原型ともいえます。また、この敷瓦のように釉薬を塗る前に素地の上に鬼板土のような含鉄の板土でもって鉄絵を施したものは、絵志野と呼ばれています。ここで描かれている絵柄は、鎌倉時代 後鳥羽上皇がことのほか好んで自らの印として愛用し、その後皇室の紋として定着した菊紋ですが、この敷瓦が作られた江戸時代の中期には、葵紋とは対照的に菊紋は比較的自由に使用され一般庶民にも浸透していたようです。

 志野釉に用いられる長石や鬼板土は天然原料であり、採取される場所に位置によってまったく違った溶けや色合いとなることから、当時の陶工たちは自分だけの原料を探し出し、門外不出の秘伝の原料としたようです。さらには、志野釉の場合、同じ原料を用いても焼成条件が違えば、出来上がりもまったく違ったものになります。長石の溶け具合と素地からでる気泡の量が肌合いを決定付け、滑らかでなく、一見半溶けのような釉面で、虫が食ったような孔のある肌合いが良いと言われており、現代の陶芸家たちも様々な焼成条件で志野釉の陶芸作品を焼いています。

  タイルは工業製品でありながら やきものの良さを求められ、志野のように「焼き、土、技」の三つが揃わないと良い作品とならない伝統の釉薬から学ぶことも多いのです。いつかは、工業製品であるタイルに、この味わいを表現してみたいものです。

文:愛知県常滑市INAXライブミュージアムものづくり工房後藤泰男

写真協力・松竹衣裳(株)

歌舞伎文様考

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