毘沙門亀甲紋

『助六由縁江戸桜』髭の意休の衣裳。着付も羽織も同じ豪華な四神の意匠

幸運を祈る文様と、亀の甲羅の深い関係

 人間は、固い亀の甲羅が持つ機能性や長寿の意から、さらに亀甲文様から多様なパターンを生み出しました。その一つが、六角形を下にふたつ、上にひとつ結合して人の字形にした「毘沙門亀甲文様」です。仏法を守護する四天王の一尊である、毘沙門天の着衣や甲冑に使われることからその名がつきました。
 毘沙門天は財宝富貴を守る武神像ですが、日本ではいつのまにか福財をもたらす神として信仰され、七福神にも加えられています。
 この毘沙門亀甲文様は、三つの足が複雑に組み合わされているように見えながら実は六角形の亀甲文様になっているという騙し絵のような面白みのあるデザインです。吉祥文様の亀甲に仏の守り神である毘沙門天を組み合わせることで、さらに文様の力を増大させようとしたのでしょう。

 もうひとつは、歌舞伎でおなじみの演目『助六由縁江戸桜(すけろくゆかりのえどざくら)』に登場する意休の衣裳にあしらわれている「四神(しじん)文」です。四神文とは、古代中国で四つの方角、四つの季節をそれぞれ守る聖獣を文様化したものです。
 もともと古代中国には東西南北が四色で表され、その四方を聖獣が取り囲んでいるという言い伝えがありました。それぞれに青龍(東と春)、白虎(西と秋)、朱雀(すざく:鳳凰のこと、南と夏)、玄武(亀と蛇のこと、北と冬)が割り当てられたのです。皆さんも横浜や神戸の中華街などで、四方向それぞれに聖獣を描いた門を見たことがあると思います。
 漢字学者・白川静がまとめた漢字の研究書『字統』を引くと、亀文には「龍文、鳳文、虎文とともに、のちの四霊の一である玄武の観念に連なる」とあります。玄とは黒色を意味し、武は亀に蛇が絡み付いて合体した聖獣です。
 四神文の起源は古く前漢末にさかのぼり、唐代まで石彫や鏡背などに盛んに使われました。この文様は朝鮮や日本にもまもなく伝わり、古墳の玄室の四方の壁には四神文が描かれています。

 『助六由縁江戸桜』で意休が着る重厚壮麗な衣裳は歌舞伎衣裳のなかでも重いと言われていますが、四神全てが宿っていると考えると重くなるのも道理です。
 さらに衣裳をよく見ると亀文の尾の部分からは苔のような緑毛が長く伸びています。これは蓑亀(みのがめ)文といい、長生きをして尾に海藻が着き、蓑のようになった亀を表したものです。まさに髭の意休らしい文様ですね。

  ゆっくりと大地を這い、地底に潜むその姿から、中国には天地を支える大亀伝説が数多く残されています。インドにも亀の腹が「地」に、背が「天」になる創造神話が伝えられています。世界を支える亀、亀甲文様も歌舞伎の世界を縁の下で支えているように思います。

伊藤俊治



伊藤俊治

伊藤俊治
1953年秋田生まれ。東京藝術大学先端芸術表現科教授、美術史家・美術評論家。美術や建築デザインから写真映像、メディアまで幅広い領域を横断する評論や研究プロジェクトを行なう。装飾や文様に関する『唐草抄』や『しあわせなデザイン』など著作訳書多数、『記憶/記録の漂流者たち』(東京都写真美術館)『日本の知覚』(クンストハウス・グラーツ、オーストリア)など内外で多くの展覧会を企画し、文化施設や都市計画のプロデュースも行なう。『ジオラマ論』でサントリー学芸賞受賞。


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