歌舞伎いろは

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もっと知りたい! 染五郎さんのこと


伝説の歌舞伎俳優を曾おじいさんにもつということ

市川染五郎さんをもっと知りたい!
市川染五郎
七代目 市川染五郎
          (いちかわ そめごろう)

生まれ
昭和48年1月8日、東京生まれ。

家族
父は九代目松本幸四郎、息子は四代目松本金太郎。

初舞台
昭和54年3月歌舞伎座『侠客春雨傘(きょうかくはるさめがさ)』松本金太郎で三代目松本金太郎を名のる。

襲名
昭和56年10月歌舞伎座『仮名手本忠臣蔵 七段目』大星力弥、11月『助六曲輪江戸桜』福山かつぎで七代目市川染五郎を襲名。舞踊では平成7年4月より松本流家元・三代目松本錦升を襲名。
染五郎さんを読みたい!
『歌舞伎のチカラ 歌舞伎のチカラ(集英社)
市川染五郎 著
¥1,575
 

 染五郎さんに、七世松本幸四郎という人は?と尋ねると――
 「男らしく、とてつもなく格好いい人。『勧進帳』を1600回以上演じたからだけではなく、“弁慶役者”といわれるにふさわしい役者だと思います。しかし、こういう質問を受けるたび、答えられるのもこの仕事ならではだなあと感じるのです。普通は、曾おじいさんについてはご存じない方が多いのではないでしょうか。でも、僕らの前にはドンと伝説の人として存在している。とんでもない人を祖先にもってしまったなと感じる瞬間でもあります」

 伝説の上を行こうと目指すのが、歌舞伎俳優ではないのでしょうか。
 「たしかに、言葉ではそう言います。たとえば、父。超えたいし、生きている間に超えることが唯一の親孝行だと思ってはいるのです。けれど、本心かと問われたら、うなずけない。親はやっぱり親、子どもとして、本気で“くたばれ”とは思えない。無理です。七代目は曾おじいさんですから、その“無理”が三乗ということでしょうか。いつまでも遠いところを走っていて欲しいし、いつまでも追いかけていたい」

 親や祖先と同じ世界で生きることの葛藤です。
 「葛藤する姿を見ることもまた、歌舞伎の魅力の一つではないでしょうか。目の前の芝居を楽しむだけでなく、演じる役者が見ているもの、目指しているものまでひっくるめて見る。歌舞伎の場合、目指しているものがわかりやすいので、お客様にも共感していただきやすいように思います」

共演ではなく競演

 今回の公演で、観客はまさしく曾孫三人を通して七世幸四郎を見ることになります。
 「自分で言っておいてなんですが、それがもう一つの大きなプレッシャーなんです。曾孫がこれでは、曾おじいさんもたいしたことなかったのだろう、と思われてしまったらとんでもないこと。これだけのものを見せる人たちの曾おじいさんとはどのような人だったのだろう――そう思っていただけるようにしなければ」

 曾孫三人が揃う公演は、とても珍しいです。
 「がっぷり四つに組んでやるのは今回が初めてではないでしょうか。曾孫三人、似ているところもあるのかもしれません。ただ、それが何なのか、僕にはまだわからないのです。にもかかわらず、曾孫というくくりで共演するのであれば、三人は相対していないといけないのではないかと。共演ではなく競演。くくられたからには、ぶつかり合わなければと感じています。『勧進帳』『茨木』が敵だと言いましたが、彼ら二人も敵。あえてライバル心をむき出しにして、挑んでいきたいと思っています」

ようこそ歌舞伎へ

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