歌舞伎いろは

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大阪でやりたかった『雷神不動北山櫻』

 『通し狂言 雷神不動北山櫻(なるかみふどうきたやまざくら)』は270年前、二世市川團十郎が大坂で初演。初世團十郎が初演した『鳴神』と『不動』に、大坂の観客にも受け入れられるようにと、二世が推理仕立ての『毛抜』をつくり加えて一つの物語とした作品です。

 『鳴神』『毛抜』を演じ、團十郎さんの自主公演で、歌舞伎十八番の『不動』ではありませんが『成田山分身不動』(1992年)の不動明王を演じた海老蔵さんに、『雷神不動北山櫻』がやれるのではというお話がもちあがり、実現したのが2008年1月の新橋演舞場公演でした。
 「その後、御園座(2009年4月)、博多座(同10月)と3度演じてきましたが、二世團十郎が大坂でやるためにつくった芝居ですから、ぜひ大阪でやりたいと思っていたんです。ちょうど橋下新市長が誕生して大阪に注目が集まっているときでもあり、いいタイミングになりましたね」

今、やるからこそ

 『鳴神』『毛抜』『不動』は後に七世團十郎が歌舞伎十八番に選びます。いわば、『雷神不動北山櫻』は歌舞伎十八番の代表作をくるっと包んだような作品ともいえます。
 「ただ、二世團十郎がつくった『雷神不動北山櫻』はしだいに上演が絶え、後には『鳴神』『毛抜』『不動』の見取り(通し狂言に対し、面白い場面のみ抜き出した上演の方法)すらなくなります。それを明治時代に二世市川左團次さんが見取狂言として上演、昭和42(1967)年には(二世尾上)松緑の大叔父が通し上演として復活させます。その後に父も(1996年)――。つまり、元の作品と僕らが知っているものは別ものではないか、ならば、新たな考えでつくり直してもいいのではないか…」

歌舞伎十八番に二役加えて演じる理由

『通し狂言 雷神不動北山櫻(なるかみふどうきたやまざくら)』は、こんなお芝居

海老蔵の鳴神上人
(C)松竹株式会社

帝の皇子として生まれた早雲王子(海老蔵)ですが、陰陽師の安倍清行(海老蔵)が、王子が帝位に就けば天下が乱れると占ったため、即位したのは陽成天皇でした。陽成天皇は、女子を男子に変える「変成男子(へんじょうなんし)」の行法によって男子として生まれた人物で、その行法を行ったのが高僧の鳴神上人(海老蔵)でした。 早雲王子は陰謀策略で天下を奪おうとし、その陰謀に乗せられた鳴神上人が、龍神を北山の滝壺に封じ込めてしまったので、世の中は旱魃(かんばつ)に見舞われます。雨乞いの儀式に用いる小野家の重宝の短冊も、早雲王子の一味に奪われてしまいますが、文屋豊秀の家臣、粂寺弾正(海老蔵)の働きで短冊は無事取り戻されます。一方、勅命を受けた雲の絶間姫(扇雀)が、鳴神上人の庵で行法の秘密を聞き出して龍神を解き放ったため、雨も降り出し、早雲王子の陰謀は失敗に終わります。そこへ不動明王(海老蔵)が降臨、早雲王子の悪心と、雷となった鳴神上人の執念を鎮め、世の中は再び平穏を取り戻すこととなりました。

 時間的な長さや筋の複雑さなど、今やるには合わなくなっているのではと感じる箇所があったという海老蔵さん。具体的には何を手掛かりにつくり直したのでしょう。
 「勧善懲悪を際立たせることです。というのも、歌舞伎十八番を復活させたいと考え始めたとき、いちばん重要だと感じたのが勧善懲悪だったのです。『雷神不動北山櫻』は歌舞伎十八番を三つ内包する作品ですから、まさにそこだろう、と。誰が悪くて誰が正しいのかをはっきりさせれば、わかりやすく、さらに面白くなると思いました」

 二世松緑さんや当代の團十郎さんは、鳴神上人と粂寺弾正(くめでらだんじょう)と不動明王の3役を演じましたが、海老蔵さんは早雲王子と安倍清行も手がけ、都合5役を演じてきました。清行は、世継ぎとして生まれた早雲王子が帝位につくと世の中が乱れると予言した陰陽師。その予言によって世継ぎの座を失った早雲王子は、世を乱し、自分が帝位につこうと謀略をめぐらします。
 「端的に言うとこの物語は御家騒動なわけです。その軸から考えれば『鳴神』や『毛抜』は脇筋。とてもよくできているだけに、それが際立つだけでは名場面をつないだ印象になってしまいます。御家騒動の敵役である早雲王子と、彼が恨む安倍清行も僕が演じることで、大きな一つの物語として面白くなるのではないか――。そう考えました」

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