歌舞伎いろは

【歌舞伎いろは】は歌舞伎の世界、「和」の世界を楽しむ「歌舞伎美人」の連載、読み物コンテンツのページです。「俳優、著名人の言葉」「歌舞伎衣裳、かつらの美」「劇場、小道具、大道具の世界」「問題に挑戦」など、さまざまな分野の読み物が掲載されています。



もっともっと楽しんでいただくために


悪が強いほど勧善懲悪が際立つ

 海老蔵さんが3度演じたなかで変わったのが早雲王子。とても大きな存在になってきました。
 「悪が強いほど善が際立つ。早雲王子の存在が大きくなるほど勧善懲悪の物語として面白くなると考えたのです。対峙する者が互いにしのぎを削り、お互い譲らずとなってこそ芝居は面白い。『勧進帳』にしても、富樫がよく描かれているからこそ弁慶が光る。勧善懲悪の『雷神不動北山櫻』は最終的に善が勝つのがわかりきっていますから、その結末に至るまで、悪である早雲王子にいかにスポットを与えるかが大事ではないだろうかと」

 しかも、早雲王子は単なる敵役ではない、と海老蔵さんは言います。
 「彼は“苦悩する悪”なんです。この子が帝になると必ず悪いことが起きる、という予言により世継ぎから外される――。これは、ひねくれろと言われているようなものですよ。生まれ落ちたときから悪である人間などいないわけで、早雲王子にも彼なりの苦悩がある。その苦悩を取り上げないと、この物語における悪がつまらないものになってしまう、再演を重ねるうちにそう考えるようになりました」

 早雲王子と同様に、安倍清行も海老蔵さんが演じることになって、大きく変わった役の一つです。
 「清行は早雲王子にはめられ、百日もの間、地中に埋められていたのが、“オニギリ”食べたい、と穴から出てくるんですよ。オニギリかぁと(笑)。人間の大きな欲には食欲のほかに睡眠欲も性欲もある。そこで、女好きにもっていけないかなと考えました。女好きというとふらちな感じがありますが、不老長寿も引き合いに出してやれるのではないか。それで、女性の匂いに誘われて地中から出てくることになったんです」

大阪松竹座 壽 初春大歌舞伎

平成24年1月2日(月)
~26日(木)
公演情報

海老蔵の粂寺弾正
(C)松竹株式会社


夜の部
通し狂言 雷神不動北山櫻
(なるかみふどうきたやまざくら)
市川海老蔵五役相勤め申し候
鳴神上人 海老蔵
粂寺弾正
早雲王子
安倍清行
不動明王
 
雲の絶間姫 扇 雀
文屋豊秀 右 近
腰元巻絹 笑 也
小野春風 宗之助
秦秀太郎 吉 弥
八剣玄蕃 市 蔵
関白基経 門之助
秦民部 右之助
小野春道 翫 雀

習うより慣れろ

 …ということで結局、約4時間出ずっぱりの5役と相成りました。
 「『鳴神』だけ、『毛抜』だけでも十分に大変なのに、最後には大立廻りに空中浮遊も! 終わったことは忘れる性質ですが、初演のとき舞台上で気を失いかけたことは覚えています。初の昼夜2回公演があった日の夜の部、幕開きの口上、これがけっこう長いんですが、しゃべっているうちにだんだん酸欠状態になり、目もちかちかしてきた。前についた手でなんとか体を支えてやりましたが、果たして最後までもつのだろうかと思いました」

 それでも、5役をやりきった――。
 「そういうことを25日間やっていると、リミッターが振り切れるんでしょう。なぜかできるようになる。“習うより慣れろ”で、楽な状態に身を置いていればそれが普通になり、辛いこともやり続ければ当たり前になっていく。2011年の後半は、一日に大きな役が四つ、五つという公演が続いたのでなおさら感じたのですが、人間は“死にかねない”くらいのほうが成長する、そう思って逆に楽しむようになりましたね」

ほかの役者にも「やりたい」と言われるような作品に

 そんな大変な5役ですが、ほかの人にも『雷神不動北山櫻』をやりたいと言ってもらえたら嬉しい、と海老蔵さんは言います。
 「僕から見ると、新しい作品には、つくられた方の独自の世界であったり、その方がなさってこそ――というものが多いように感じるのです。もちろん、それでその方の家の芸が豊かになるわけですから、とても素晴らしいことです。ただ、見取狂言にまでなるものは多くないし、時間もかかる。難しいことかもしれませんが、僕は『雷神不動北山櫻』のみならず、埋もれている歌舞伎十八番をそこに落とし込みたいのです」

ようこそ歌舞伎へ

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