歌舞伎いろは

【歌舞伎いろは】は歌舞伎の世界、「和」の世界を楽しむ「歌舞伎美人」の連載、読み物コンテンツのページです。「俳優、著名人の言葉」「歌舞伎衣裳、かつらの美」「劇場、小道具、大道具の世界」「問題に挑戦」など、さまざまな分野の読み物が掲載されています。



御覧いただきたいのはここ!


二度目の『鏡獅子』に挑む!

 『鏡獅子』は九世市川團十郎が初演し、その後は、新 勘九郎さんのひいおじい様の六世尾上菊五郎から、父方のおじい様の先代中村勘三郎、母方のおじい様の七世中村芝翫、そしてお父様の現・勘三郎さんと、代々が得意にされてきたお役です。今回は平成12年4月「十七代目中村勘三郎十三回忌追善四月大歌舞伎」で初演して以来でいらっしゃいますね。
 「初演では神谷町の祖父(芝翫)に教わりました。父もすごく大切にしているものですし、もちろん祖父が大切にしてきた舞踊ですので、しっかりと踊りたい。祖父には“品よく踊れ”と言われました。『娘道成寺』の花子と一番違うのは、『鏡獅子』の弥生はいやいやあの場に出され、殿様の前で踊らされるということです。だから本当にくたびれるんです」

 約12年ぶりになりますね。
 「初役に近いですよ。初々しく踊りたい。『鏡獅子』は極論すれば、お客様がいらっしゃらなくてもという境地に達するまでいかなければいけないと思います。無我の境地というのでしょうか、別空間に行く。『娘道成寺』はお客様のパワーと、花子のパワーが融合して渦を巻くような美しいものになるのが理想形ですが、『鏡獅子』は江戸城のお殿様の前という張りつめた空間で、一対一に近い形で踊る。見せる踊りではない。だから苦しいんです」

体を極限まで使って踊る弥生

 局たちに手を取られて殿様の前に引き出された弥生は、覚悟を決めて踊り出します。
 「『忍ぶ便りの長廊下』でお辞儀をしたときに、ああ始まるなと感じます。極限まで体を使わなくてはいけない踊りなので、一つひとつの振りを丁寧にと心掛けます。弥生は江戸城大奥に勤める女小姓(めごしょう)。町娘とは違います。全部息をつめて踊っているようなもので、発散できない。前シテの弥生でいる間が大変です」

 その後が手踊りの「川崎音頭」、続いて女扇を持っての「春は花見に」になります。
 「『川崎音頭』からすべてが始まる――。“手を縛って踊れ”と言われるぐらいで、小手先ではなく、体を使ってしっかりと踊らないといけません。手先だけで踊れば、きれいには見えるかもしれませんが、それは僕が教わってきた踊りではありません。曲も歌詞も理解して踊るということです。曲調が変われば、雰囲気も変わる。最初は長廊下に出て厳かに踊り、『川崎音頭』もしっかりと踊る」
 「『花見』で花を見るところでは、ちゃんと花を見なければならない。『朧月夜やほととぎす』という歌詞がありますが、そこでも、きちんとホトトギスを見る。牡丹の花が散るのを見るところでは、牡丹にしっかりと目をやります」


映画に残る獅子の名演

新歌舞伎十八番の内『春興鏡獅子(しゅんきょうかがみじし)』は、こんな作品

撮影:篠山紀信/
提供:松竹株式会社

江戸城では初春嘉例の鏡曳きの日に、技芸に優れた者が将軍の御前で舞うことになっています。獅子の舞を所望された女小姓の弥生(勘九郎)は最初恥じらっていましたが、老女と局に連れ出され、観念して舞い始めます。そのうち、祭壇に祀られた獅子頭を手にして踊り始めると、蝶につられて獅子の精が目覚めたかように、獅子頭が勝手に動きだしました。獅子の精に引きずられて消え去る弥生。牡丹の花と戯れる胡蝶(玉太郎、宜生)。するとそこに、獅子の精が現れて舞い狂い、やがて獅子の座になおり、百獣の王の威厳を放つのでした。

 後ジテは、ひいおじい様で舞踊の名手としても知られる六世菊五郎の『鏡獅子』、あの小津安二郎監督の映画が思い浮かびます。
 「映画に残る六代目の後ジテに憧れ、18歳の初演のときに、獅子が高く飛んでポンと落ちるのを真似していたら、膝を痛めてしまいました。すごいですね。あの人は。映画の前シテは気に入らなかったそうですが、後ジテはすばらしい。もうちょっと体ができたときに曾祖父の真似をすればよかったんですが」

 では、今回の後ジテはどんなふうに踊られるのでしょう。
 「獅子はどんとしていなければいけない。やはり、あの映画に残る『鏡獅子』を目指します。後は、大きさとシャープさと形の美しさ、わくわくさせるものがなくてはいけません。ただし、がむしゃらにやるものではない。毛も、やたらに振っていいものではありません」

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