歌舞伎いろは

【歌舞伎いろは】は歌舞伎の世界、「和」の世界を楽しむ「歌舞伎美人」の連載、読み物コンテンツのページです。「俳優、著名人の言葉」「歌舞伎衣裳、かつらの美」「劇場、小道具、大道具の世界」「問題に挑戦」など、さまざまな分野の読み物が掲載されています。



もっと知りたい! 橋之助さんのこと


息子たちのこれから

中村橋之助さんをもっと知りたい!
中村橋之助
三代目 中村橋之助
          (なかむら はしのすけ)

生まれ
昭和40年8月31日生まれ。

家族
七代目中村芝翫の二男。兄は九代目中村福助。息子は初代中村国生、初代中村宗生、初代中村宜生。

初舞台
昭和45年5月国立劇場『柳影澤螢火(やなぎかげさわのほたるび)』吉松君で中村幸二の名で初舞台。

襲名
昭和55年4月歌舞伎座『沓手鳥孤城落月(ほととぎすこじょうのらくげつ)』裸武者石川銀八、『女暫』手塚太郎光盛ほかで三代目中村橋之助を襲名。

受賞
平成7年松尾芸能賞新人賞、23年日本藝術院賞ほか受賞多数。
橋之助さんを観たい!

 今回は長男の国生さんが林数馬で出演されます。3月は平成中村座の『御所五郎蔵』『元禄花見踊』にもご出演でした。最近、舞台出演が増えていらっしゃるようですね。
 「国生は父(芝翫)の最期を看取った1か月で、役者としての精神ができてきたのではないかと思います。父が病室で孫の(中村)児太郎と国生の手を取り、自分の生い立ちを通して役者の精神というものを教えてくれたらしい。それが全部、彼の身になっているみたいです」

 歌舞伎俳優としての国生さんのこれからが楽しみです。
 「まだスタートラインに立ったばかりですが、もともと丁寧で一所懸命な性格です。最近は自宅にある芝居のDVDや台本の整理をしています。本当は毎月でも舞台に出たいようですが、今は学校も大変ですし、これからの役者は役を演じる以外にもいろんなことを考えなくてはいけない。たくさん勉強して欲しいですね」

 3月は橋之助さんのいらっしゃらない舞台への出演でしたが。
 「芝居は、従兄の勘九郎によく面倒をみて教えてもらっています。3月は『元禄花見踊』も勘九郎が見てくれ、(片岡)亀蔵さんや(坂東)彌十郎さんもいろいろと教えてくださったようです。子どもは男の子3人ですが、性格はそれぞれ違う。二男の宗生が僕に一番似ているかもしれません。三男の宜生は仕種や性格が亡くなった父にそっくりで、動作がのんびりしています。遺伝というのは不思議ですね」

平成中村座にぴったりの芝居

 橋之助さんは平成中村座公演には数多く出演されています。
 「平成中村座は不思議な劇場です。古典なら『法界坊』、『夏祭浪花鑑(なつまつりなにわかがみ)』、『仮名手本忠臣蔵』という世話物から義太夫物まで、傾向の異なる作品のどれにも似合うし、能や狂言から題材を得た松羽目物にも合います。3月に上演された『舞鶴雪月花(ぶかくせつげっか)』のような新作舞踊もいいでしょう。いろいろな顔をもった劇場です」

 では、その平成中村座と初上演の『小笠原騒動』の相性はいかがでしょう。
 「昔ながらの芝居小屋の雰囲気があるので、早変わりや本水も使い、古風な味わいをもつ『小笠原騒動』にはぴったりだと思いますよ」

 古風な味わい、それがこの芝居の大きな魅力ということですね。
 「『小笠原騒動』を初演しているときに、澤瀉屋のおにいさん(市川猿之助)が、大阪松竹座でスーパー歌舞伎の『新・三国志』を上演していらした。それで僕に伝言をくださったんです。“僕はデジタルの歌舞伎をやっているけれど、君にはアナログの歌舞伎を追求して欲しい”と――。こういう復活上演のときは、僕は紙芝居的な芝居づくりを心がけています。そして古風な匂いのする芝居にしたいと思っているのです」

※澤瀉屋の「瀉」のつくりは正しくは“わかんむり”です。

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