歌舞伎いろは

【歌舞伎いろは】は歌舞伎の世界、「和」の世界を楽しむ「歌舞伎美人」の連載、読み物コンテンツのページです。「俳優、著名人の言葉」「歌舞伎衣裳、かつらの美」「劇場、小道具、大道具の世界」「問題に挑戦」など、さまざまな分野の読み物が掲載されています。



もっともっと楽しんでいただくために


今の自分を表現できれば

 又五郎さんの『吉野山』初演は昭和42(1967)年6月の歌舞伎座。静御前はいとこの中村時蔵(当時梅枝)さん。又五郎さんは当時、光輝を名のっていらして小学校五年生でした。51(1976)年6月にも同じ顔合わせで踊られ、平成3(1991)年6月には歌舞伎座で中村魁春(当時松江)さんと勤められました。今回はそれ以来ですね。
 「今度で4回目です。これまで、先代藤間勘祖先生と今の勘祖先生に、細かくご指導を受けました。前回は魁春のおにいさんにお出ましいただいたので、お父様の成駒屋のおじさん(六世中村歌右衛門)が舞台稽古でいろいろご指導くださいました。お芝居も同じですが、教えを自然に表現できるようになれればと思います」

 今回も勘祖先生のご指導で?
 「再演の度に勘祖先生のところにうかがいます。形が決まるところを、すきっとやりたい。当たり前ですが、毎年、年をとります。平成3年当時とは違う自分がいるので、それが表現できればいいと思います。どこがどうと言葉で言い表せないのですが、勤めている間に解釈や振りの意味で、はっと気づくことがある。わかっていても、どうしても入れなかった間があったりもします。それをいかにちゃんとした間に入れていくかです」

 先代勘祖さん、歌右衛門さん。偉大な先輩であるお二人から教わられたなかで、特に印象に残ったことはありますか。
 「お二人には同じところのご注意を受けました。“もっと清元のところは柔らかく踊らなければだめよ”と。私はわりと熱血居士で、かあっとなる質なものですから、一所懸命に踊ってしまう。色気が必要だということでしょう。それが清元らしさなんだと思います」

中村歌昇改め三代目中村又五郎襲名披露 中村種太郎改め四代目中村歌昇襲名披露 大阪松竹座 七月大歌舞伎 関西・歌舞伎を愛する会 第二十一回

平成24年7月3日(火)~
27日(金)
公演情報

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夜の部
『道行初音旅 吉野山』

佐藤忠信実は源九郎狐 歌昇改め又五郎
静御前 芝 雀
早見藤太 仁左衛門

4度目の『吉野山』、何が変わるのか楽しみ

 再演を繰り返すことで、何が変わってくるのでしょうか。
 「今年4月のこんぴら歌舞伎の襲名披露で勤めた、同じ『義経千本桜』の『四の切』でも、前回と違う感覚がありました。もちろん一番重要なのは初演で中村富十郎のおにいさんに教えていただいたことを守るということでしたが…。何かに気づいたからといって、踊りやお芝居がその日から変わるわけではない。ただそれがうまく出れば、役者としての魅力につながるのではと思います」

 今回は静を芝雀さんが踊られます。お相手によっても踊りは変わるのでしょうか。
 「忠信と静御前の二人の俳優が決まった振りで踊る。表現方法が多少違っても曲の中にその振りは入る。そんなに違いはないですよ。ですから、確としたものを守りながら、何かを出していく。中村芝雀さんとは今回が初めてなので楽しみにしております」

 今回は藤太に片岡仁左衛門さんがお出になりますね。
 「舞台でがっちりご一緒するのは『盟三五大切(かみかけてさんごたいせつ)』(平成20年11月歌舞伎座)で、おにいさんが薩摩源五兵衛、私が六七八右衛門を演じて以来でしょうか。“一緒になんかできたらええな”とずっとおっしゃってくださっていた。昼の部では私が『荒川の佐吉』に辰五郎で出させていただきます。襲名興行ではいろんな方が出てくださいました。皆さんのお気持ちをありがたく思っております」

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