歌舞伎いろは

【歌舞伎いろは】は歌舞伎の世界、「和」の世界を楽しむ「歌舞伎美人」の連載、読み物コンテンツのページです。「俳優、著名人の言葉」「歌舞伎衣裳、かつらの美」「劇場、小道具、大道具の世界」「問題に挑戦」など、さまざまな分野の読み物が掲載されています。



もっと知りたい!又五郎さんのこと


楽しいことと好きなことは別

中村又五郎さんをもっと知りたい!
市川猿之助
中村歌昇改め
三代目 中村又五郎
(なかむら またごろう)

生まれ
昭和31年4月26日生まれ。

家族
四代目中村歌六の二男。祖父は三代目中村時蔵、兄は中村歌六。息子は中村歌昇、中村種之助。中村時蔵、中村錦之助、中村獅童はいとこにあたる。

初舞台
昭和39年7月歌舞伎座 三代目・四代目中村時蔵追善七月特別興行で『偲草姿錦絵』「八段目道行」奴関助、『宮島だんまり』浅野光之丞ほかで中村光輝を名のり初舞台。

芸歴
昭和56年6月歌舞伎座 三代目中村時蔵二十三回忌追善六月大歌舞伎で『船弁慶』静御前・新中納言平知盛の霊ほかで三代目中村歌昇を襲名。

襲名
平成23年9月新橋演舞場『菅原伝授手習鑑』「寺子屋」武部源蔵、「車引」梅王丸、『沓手鳥孤城落月』豊臣秀頼ほかで三代目中村又五郎を襲名。

受賞
平成24年芸術選奨文部科学大臣賞ほか受賞。

 又五郎さんは踊りの名手として知られています。また、名子役としても人気を博されました。お小さい頃から踊りはお好きでいらしたのでしょうか。
 「踊りは最初、初代藤間勘太郎(後の麗樹)さんに教わりました。幼稚園の頃だったと思います。6歳ぐらいからは、先代勘祖先生のところにうかがいました。実は、小さい頃は踊りが嫌いでした。お弟子さんたちが座っている前で踊るのが恥ずかしかったんです。勘祖先生はお若い頃は怖かったらしいですが、僕らの頃には優しくなられていましたよ」

 厳しいご指導で有名だった勘祖先生ですから、又五郎さんがお上手だったからお優しかったのでは…。
 「いや、優しいといっても、中村勘三郎さん(当時勘九郎)とご一緒に『三社祭』(昭和47年6月歌舞伎座)を踊ったときのお稽古は、尋常ではなかった。立て続けに踊らされました。きつかったし、踊りであんなにお稽古をしたことはありません。3回目には“もうないよね”と勘三郎さんと言い合っていたら、“もう1回”。…今にして思えばありがたいことです」

 ずばり、今の又五郎さんは舞踊をお好きでいらっしゃいますか。
 「踊りを楽しいと思ったことはない。芝居もない。でも、どちらも好きです。好きなのと楽しいのは違います」

襲名披露興行もひと区切り

 襲名披露興行ももう半年以上になります。思い出はおありですか。
 「昨年9月の『秀山祭』(新橋演舞場)で襲名披露が始まりました。(七世中村)芝翫のおじさんが初日に出てくださり、それが最後の舞台になられました。本当にありがたかったですし、大きな思い出となりました」
 「襲名は“やります”と言っても実現できるものではない。それが、どの劇場でも『口上』を一幕として出してくださり、全国でお客様に見ていただけました。これも、感謝とともに素晴らしい思い出です」


 お二人の息子さんの成長ぶりも、大きかったのではないでしょうか。
 「播磨屋のにいさん(中村吉右衛門)が“襲名は短期間でやったほうがいい”とご助言くださり、歌昇、種之助の二人の息子もお役を頂戴し、いろいろな方にご指導いただきました。それを身につけてくれればと思っています」
 「歌昇は吉右衛門のおじさん命でばく進中。種之助は勉強しなければいけないことが山ほどある。種之助が舞台に意欲的だということも今回、再発見しました」

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