歌舞伎いろは

【歌舞伎いろは】は歌舞伎の世界、「和」の世界を楽しむ「歌舞伎美人」の連載、読み物コンテンツのページです。「俳優、著名人の言葉」「歌舞伎衣裳、かつらの美」「劇場、小道具、大道具の世界」「問題に挑戦」など、さまざまな分野の読み物が掲載されています。



もっと知りたい!七之助さんのこと


仲のよい兄の襲名がうれしい

中村七之助さんをもっと知りたい!
中村七之助
二代目 中村七之助
(なかむら しちのすけ)

生まれ
昭和58年5月18日生まれ。

家族
父は十八代目中村勘三郎。兄は六代目中村勘九郎。中村福助、中村橋之助は叔父に当たる。

初舞台
昭和61年9月歌舞伎座『檻(おり)』祭りの子勘吉で本名で初お目見得。62年1月歌舞伎座『門出二人桃太郎(かどんでふたりももたろう)』弟の桃太郎で二代目中村七之助を名のり初舞台。

七之助さんを観たい!

 今回は初舞台以来、一緒に歩んでいらしたお兄様の襲名興行です。どんなお気持ちですか。
 「父が病気で、『口上』にも出られないのは寂しいですが、その分こちらがしっかりしないといけないと思っています。襲名は“ありがたい”のひと言。弟としてその場にいられるのがうれしいです」

 お2人はとても仲がいいようにお見受けします。
 「祖父(先代勘三郎)が、“兄弟は仲よくしないといけないよ”と遺言のように言っていたらしいし、父にも口を酸っぱくして言われましたが、言われなくても仲がいいんです。一番、一緒に芝居をやっているからでしょうか。気持ちがわかりあえます」

 舞台とは関係のないところでも?
 「小さい頃は、父に2人一緒に引っぱたかれていました。雪の日に、母から“出ていけ”と言われ、追い出されたときも、一対しかない靴を、片足ずつ履いて励まし合いながら、近くの祖父の家まで凍えながら歩いた思い出があります。両親が怖かったので、団結しないと生きていけなかったのかな(笑)。今でもそうですよ」

歌舞伎の素晴らしさを再認識

 最近、特に思い出に残る舞台はありますか。
 「『天日坊』(6~7月シアターコクーン、まつもと市民芸術館)に出て、見にいらした現代劇の方たちから、歌舞伎の底力はすごいと言われました。立ち姿や形がきれいだと。それは稽古の賜物だったりするわけです。新作をすると時代劇になる危険性があるじゃないですか。だから、動きやせりふが現代風にならないように、特に意識しました」

 歌舞伎の底力を感じられたところ、もっと教えてください。
 「歌舞伎の技法である見得やツケ、これも本当によくできていると思いました。たとえば、気持ちをAからBへ動かすのに、ツケがあると楽に飛べる。気持ちの切り替えができるんです。バッタリと音がすると、“そんな気持ちには行けないだろう”というところにパッと行ける」

 演じ手ならではの実感ですね。
 「ええ、でも素晴らしいのは、それが歌舞伎を初めて見た人に対しても成立することです。それがすごいなと思った。みんな納得できちゃうんですよ」

ようこそ歌舞伎へ

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