歌舞伎いろは

【歌舞伎いろは】は歌舞伎の世界、「和」の世界を楽しむ「歌舞伎美人」の連載、読み物コンテンツのページです。「俳優、著名人の言葉」「歌舞伎衣裳、かつらの美」「劇場、小道具、大道具の世界」「問題に挑戦」など、さまざまな分野の読み物が掲載されています。



もっともっと楽しんでいただくために


男の格好悪さを格好よく見せた父

 『暗闇の丑松』はおじい様(二世松緑)もお父様(三世松緑)も得意にされたお芝居です。
 「僕の目にあるのは父であり、音羽屋のにいさん(尾上菊五郎)の丑松なので、それをベースにつくりたい。どんどん追い詰められて狂気じみる、ある種の不健康さが、父の丑松の魅力の一つでしたが、僕は父のようにシャープではありません。四郎兵衛に騙されたり、女房が売られたり、お熊の嫌がらせはありますが、基本的には自分の勇み足で追い詰められていく、一人の男の格好悪さを、“格好よく”お見せしたい」

 格好悪いのに格好いい、歌舞伎にはそういうキャラクターがありますね。
 「『縮屋新助』とか『番町皿屋敷』の青山播磨と通じるものがあると思います。自分の浅はかさから階段を転げ落ちていく男の無様さというのかな。無様なんですが、美しかったり格好よかったりする。それを表現するのが、父は本当にうまかった。人の闇や暗部をえぐり出すのは、晩年のおおらかな芸風の祖父よりも、父のほうが印象に残っていますから、父のイメージを大事にしたいです」

 お父様の丑松も本当に素敵でした。
 「僕は今回、『三笠山御殿』の鱶七もさせていただきますが、面白いことに30年前の父が丑松をやっていた月(昭和58年2月歌舞伎座)に、祖父が鱶七を勤めているんですよ。昼の最後が父の丑松で、夜の序幕が祖父と尾上梅幸のおじさんのお三輪、市村羽左衛門のおじさんの入鹿の『三笠山御殿』。祖父の具合が悪くて初日から3日間だけ父が鱶七を代わりました。僕はそのときにしか父の鱶七を見ていないんです。祖父には申し訳ないのですが、父と祖父、二人の鱶七を見られたのは幸せでした」

 そして今回は、松緑さんが鱶七の後に丑松を演じられる…。
 「子ども心に、父の丑松をひたすら格好いいと思ったことを覚えています。当時から闇を覗くようなことが好きだったのかもしれない。自分が演じる芝居もそうですし、小説でも演劇でも映画でも、僕がぐっとハートに来るのはバッドエンドのものです。申し訳ない言い方ですが、お客様に沈んで帰ってもらえるような丑松ができるようにしたいですね」

力まずに大人の芝居を

大阪松竹座 二月花形歌舞伎

平成25年3月2日(土)~
26日(火)
公演情報
昼の部
『暗闇の丑松』

暗闇の丑松 松 緑
丑松女房お米 梅 枝
岡っ引常松 亀三郎
料理人祐次 亀 寿
熊吉 歌 昇
八五郎 萬太郎
料理人作公 廣太郎
料理人伝公 廣 松
四郎兵衛女房お今 高麗蔵
潮止当四郎 権十郎
お熊 萬次郎
四郎兵衛 團 蔵

 演じられるに当たって、特に気をつけられる点はどこでしょう。
 「芝居が進むにつれてテンションが上がっていきますが、力むと幼くなってしまう。たとえば『車引』の梅王や『暫』の鎌倉権五郎は、表情に力を入れ、目を寄せたりしますが、丑松は、何もしない凄み、怖さです。力むと幼い芝居になってしまいます。四郎兵衛やお今への怒りを前面に出すよりも、何かに憑りつかれているというところを出したいですね」

 一方では、腕の立つ料理人として働いている丑松ですが…。
 「板前としての腕はあっても、人間としてどこかに欠陥のある男なのでしょう。父のすごかったのは、欠陥がどこにあるというのをわからせないのですが、どこか人格が破たんしているというのを、匂いや目線でお客様に感じ取らせたこと。説明的な芝居を一切しないでお客様に気取らせた。そういう大人の芝居が丑松に関しては要求される気がしますね」

ようこそ歌舞伎へ

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