歌舞伎いろは

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御覧いただきたいのはここ!


代々受け継がれてきた「寺子屋」の松王丸

 「寺子屋」は七世松本幸四郎、初世中村吉右衛門という幸四郎さんの二人のお祖父様も得意とされた演目ですね。
 「父(初世松本白鸚)が播磨屋(初世吉右衛門)の祖父から受け継いだ型を私も習いました。初演は自主公演の「木の芽会」(第三回公演 昭和37年3月芸術座)。教えてもらったとおりに勤めました。主君のために我が子を身代りにする――、時代錯誤と取られず、お客様にお芝居として感動していただき、お心にとまるような演じ方はないかと、模索しながらやってまいりました」

 「寺子屋」といえば、やはり“首実検”のお話をうかがわないわけにはいきません。松王丸の心持ちを詳しく教えてください。
 「すでに松王丸は女房千代に、寺子屋に自分たちの子の小太郎を菅原道真の子、菅秀才の身代りにしようと入門させています。源蔵に秀才の首を討てと命じた松王丸ですが、実際に小太郎が身代りになったかどうかは、首実検をするまではわからない。首実検で自分の倅とわかり、亡くなった小太郎を褒めるつもりで“でかした”と言います。ですが、隣には同役の春藤玄蕃がいる。そこで“でかした源蔵”と、首を討った源蔵を賞賛したかのように正反対の肚(はら)とせりふで表現します」

現代のお客様によりよくわかっていただくために

『菅原伝授手習鑑』「寺子屋」は、こんなお芝居

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平成22年4月歌舞伎座
(C)松竹株式会社

太宰府へ流罪となった菅丞相から、筆法の奥義を伝授された武部源蔵は、丞相の実子、菅秀才を自らが営む寺子屋にかくまっています。藤原時平の家臣、春藤玄蕃から秀才の首を討って渡すように言われた源蔵は、寺子を身代りにと思いつきますが、いずれを見ても山家育ち…。そこへ女房の戸浪が引き会わせたのが、寺入りしたばかりの小太郎でした。器量よしの気高い顔を見て、これはと源蔵は決意を固めます。間もなく現れた松王丸と玄蕃に小太郎の首を差し出すと、首実検役の松王丸も間違いないと言って帰りました。
安堵したのも束の間、小太郎の母、千代が我が子を迎えにやって来ました。口封じに源蔵が斬りかかると、千代は小太郎が身代りとして役立ったかと尋ね、再び現れた松王丸も、菅丞相の御恩に報いるために我が子を身代りにしたと明かします。松王丸夫婦は我が子の最期の様子を聞いて涙を流し、松王丸がかくまっていた菅丞相の御台所、園生の前と菅秀才を引き合わせると、一同は野辺送りの焼香をして小太郎を弔うのでした。

 今回の上演で特に考えていらっしゃることはおありですか。
 「今の主君である藤原時平一派をだまし、旧主であった菅丞相(道真)に御恩を返す。この『寺子屋』の場面の松王丸にはとても大事な肚です。今のお客様は仇役だった松王丸が、後半になり忠臣となる――これは歌舞伎の手法の一つで“もどり”の一種でもあるわけですが、現代人の目で見れば、人間像が一貫していないように受け取られてしまう。だから僕は、松王丸が何かを隠していると思わせる意味で、仮病、仇役等、前半の松王丸の役作りに工夫を加えようと思っています」

 具体的には、どうされるおつもりですか。
 「百姓たちが、寺子屋にいる我が子を殺されては大変と引き取りに来ますね。あのときに松王丸が、“彼等とても油断はならぬ”と、彼らが秀才を“助けて帰る”こともあると言う。玄蕃が怪訝な顔をするので、松王丸は咳をしてごまかします。今回は“助けて帰る”で、松王丸は自分が助けるという気持ちを思わず口に出してしまい、咳でごまかす、というように掘り下げてみようかと思っています」

 現代人が共感しやすい形にしていくということでしょうか。
 「従来なら“助けて帰る”で咳をし、“手もあること”となるのを、今回は“助けて帰る”で咳をしてごまかし、もう1回“助けて帰す手もあること”と言う。2度目は取り繕って玄蕃に言う心です。最初が助けて帰“る”、2度目が助けて帰“す”で、2度言うつもりです」
 「前から気持ちの上ではそうでしたが、今度はせりふとして言ってみます。そうすれば、お客様も松王丸が“何か隠している”と思われるでしょう。後で経緯がわかったところで、そういえばあそこで“助けて帰す”と言っていたなと、思い浮かべていただけるのではないでしょうか」

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