歌舞伎いろは

【歌舞伎いろは】は歌舞伎の世界、「和」の世界を楽しむ「歌舞伎美人」の連載、読み物コンテンツのページです。「俳優、著名人の言葉」「歌舞伎衣裳、かつらの美」「劇場、小道具、大道具の世界」「問題に挑戦」など、さまざまな分野の読み物が掲載されています。



御覧いただきたいのはここ!


まさかの伊之助、原点に帰って取り組む

 これまでに扇雀さんは、又市とおきわをなさっています。伊之助は、ずっと(十八世中村)勘三郎さんがお勤めでした。
 「まさか伊之助を演じることになるとは、考えてもいませんでした。お話をいただき、北條秀司先生の戯曲を改めて読み直しました。初演は昭和36(1961)年2月の東京宝塚劇場で、伊之助は森繁久彌さん、おきわは山田五十鈴さん、重善は十七世中村勘三郎のおじさん、又市は三木のり平さんでした。森繁さんが伊之助をどう演じられたかを想像してみると、勘三郎のおにいさんの伊之助の雰囲気には、森繁さんとご自分の味とが混ざっていたように感じました」

 もともと歌舞伎ではなかった作品ですが…。
 「初演の台本にも目を通しましたが、北條先生は下座(黒御簾音楽)や拍子木を用いるなど、全部を歌舞伎風にと指定してありました。おきわの山田さんも、歌舞伎を演じることができる女優さんでした。北條先生も、歌舞伎としても成立するようにお書きになっていますので、歌舞伎俳優も、いつものように演じればいいと思います」

ゼロからつくる自分の伊之助

『狐狸狐狸ばなし』は、こんなお芝居

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(C)松竹株式会社

元は上方で歌舞伎の女方、今は手拭い染屋の伊之助は、女房のおきわにぞっこん。おきわは破戒坊主の重善と浮気中で、重善が成金の娘に婿入りするように言われていると知り、自分と夫婦になってくれと重善に迫ります。しかし、伊之助を殺してきたら夫婦になってもいいとかわされてしまい、迷いながらもついに伊之助に毒を盛るおきわ。
世間にはフグ毒で死んだことにして、おきわは重善に真相を打明け、間男のうえに亭主殺しをそそのかした罪は重いと脅しをかけます。呆れ返る重善でしたが、おきわとともに伊之助の死骸を始末し、二人は重善の住む閻魔堂で寝入ってしまいました。夜が明けると、伊之助の命令だといって使用人の又市が、おきわを呼びにやって来ます。重善がいろいろ問い詰めますが、又市も混乱している様子。…と、そこへ伊之助が!
死んだはずの伊之助と元の生活に戻ったおきわ。わけのわからない重善たちはもう一度伊之助を殺してみれば真相がわかるはずだと言い、それなら主人への恨みを晴らしたいからと、又市が一人で伊之助を沼に沈める役目を引き受けます。ところが…。

 伊之助はどんな人物だとお考えですか。
 「上方の女方あがりで、おきわとの色事だけを考えている男です。そういう人は絶対に世の中にいると思います。伊之助に限らず、登場するのはそんな人間ばかり。重善も、おきわも、おそめもそうです。男女関係がテーマの大人の芝居、化かし合いです。口に出して言えずとも、見た方が心の中で、こんな人がいる、あるいは自分にもこういう面があると大きくうなずき、笑える芝居だと思います。人のことを好きになったら、人間は伊之助のようになる。それを常識などである程度抑えているだけなんだと思います」

 では、どう伊之助をおつくりになろうとお考えですか。
 「勘三郎のおにいさんの味は真似できませんので、おきわに入れ込んでいる男としてゼロからつくります。衣裳もおにいさんとは変え、すべて自分の感覚と顏映りや色目を考えて選びました。伊之助は素人ではありません。どこかに役者あがりの匂いが出るようにと考えました」

 いろいろな工夫もお考えでいらっしゃると思います。
 「この芝居は、みんなが柔軟性を持って取り組まないとつまらなくなる。おにいさんがなさったことを型みたいにしないで、演じたほうがいい。真似をする箇所もあると思いますが、いろんな工夫をしてみたい。おにいさんと世話物を演じるときもそうでしたが、稽古と本番では必ず変わると思います」

 本番も変わってくるのでしょうか。
 「お客さんの反応でも変わります。おにいさんが演じて笑いが出たところを、私がやってもそうはならない場合もある。そういうときはさらっと演じたり、また、受けたら受けたで、臭くたっぷりやってもいい芝居だと思います。おにいさんも、世話物を演じるときは、舞台の初日が開いてからも日々変えていきました。おきわ役の七之助君とつくっていきたいと思います」

ようこそ歌舞伎へ

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