歌舞伎いろは

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御覧いただきたいのはここ!


義経の一番好きな瞬間

 梅玉さんは義経というお役を、どのようにお考えですか。
 「なんと言っても題名が『千本桜』ですから、皆さんが抱く薄幸の貴公子のイメージを大事にすることが一番ではないでしょうか。原作の『二段目』と『四段目』ではまったく性格づけが異なります」

 ではまず、原作の二段目にあたる「渡海屋」と「大物浦」の心情、しどころをお教えください。
 「相手にするのが平知盛ですから、義経も武将という側面が強くなります。落ちて行く身ではありますが、御大将としての格が要求されます。後半は鎧(よろい)も着ますし、いつでも戦える準備をしているわけなので、その気構えでおります」
 「『渡海屋』では銀平の正体を知盛だと気づいていますが、あまり見せてはいけない。そこが歌舞伎の肚(はら)です。船に乗る前に、銀平の妻のお柳に身をやつしている典侍の局(すけのつぼね)が、蓑笠を渡してくれるのを受け取ります。そのときに、“そちが情けに義経が、身の隠れ笠、隠れ蓑。心遣い忘れはおかぬ”と言うのが一番大事なせりふだと思います」

 そこをもう少し詳しくお話いただけませんか。
 「自分の身の上をせりふに入れ、知盛と典侍の局に対する思いも込められています。父(六世中村歌右衛門)が典侍の局で僕が義経のときは、父はせりふの間中、蓑笠を持っていてくれました。気持ちが伝わり、素敵だと思いました。後輩が典侍の局のときは、お願いして、そうしてもらっています。義経の眼目であり、一番好きな瞬間でもありますね」

 「大物浦」はいかがでしょう。「渡海屋」とどう違ってきますでしょうか。
 「『大物浦』は、安徳帝は自分が預かるから、知盛に武将らしく死になさいと言うところです。裏表なく、きりっとしていればいい。知盛が十分に表現するわけですから、受け止めて聞いてあげ、感情的なことは表に出さない。最後にみんなが死んでしまい、安徳帝を守護するときは、帝に対してこういう運命でお気の毒だな、という気持ちを入れています」

一つの動きで義経の性格を表す

『義経千本桜』は、こんな作品

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「大物浦」
平成24年7月大阪松竹座
(C)松竹株式会社

【渡海屋・大物浦】
源平の合戦の後、兄の頼朝から謀反の疑いをかけられた源義経は、兄と争うのを嫌い、西国へ向かおうと摂津国大物浦の船問屋、渡海屋で出船を待っています。そこへ鎌倉方の相模五郎、入江丹蔵が、義経討伐のため早く船を出せと言って来ました。渡海屋主人の銀平は二人を軽くあしらい、義経一行を一刻も早く乗船させようと仕度を始めます。感謝する義経。ところが、銀平は実は義経に敗れて死んだはずの平知盛で、義経の命を奪う戦仕度をしていたのでした。
大物浦で知盛の吉報を待つ安徳帝と乳母の典侍の局らでしたが、届いたのは敗戦の知らせ。絶望して海に身を投げようとするところ、義経の家臣たちがそれをとどめます。浜辺に戻った知盛は、義経の温情に感謝して帝を義経に託すと、自ら海中に身を沈めました。

【川連法眼館】
西国を諦め、修行時代の兄弟子、川連法眼を頼りに吉野山に向かった義経。そこへ、静御前の供をしてきたはずの佐藤忠信が現れます。ところが、どうも話がかみ合いません。皆が不審に思っていると、再び忠信が入来したとの知らせ。やって来た静は義経との再会を喜びますが、その場にいる忠信は同道してきた忠信とは様子が違うと言います。忠信の詮議を任された静は、義経が静に与えた初音の鼓を打ってもう一人の忠信を呼び寄せ、真実を話すよう迫ります。忠信は自分が狐の子で、初音の鼓は親の生皮でつくられたのだと明かしました。子狐の孝心を哀れんだ義経がその鼓を与えると、お礼に義経を狙う悪僧たちを追い払い、喜んで古巣へと帰っていきました。

 原作の四段目にあたる「四の切」はいかがでしょう。
 「逃げる途中の話ですからね。武張ったというよりも哀愁が大事ですが、義経があまりそれを出すと、肝心の狐忠信の哀愁が薄くなります。御大将としての品格を持ち、雰囲気が出ればいいのではないでしょうか」

 義経はさらに動きも少なくなります。
 「動きといえば、本物の忠信が静御前を預かった覚えがないというのに怒り、脇息(きょうそく)を脇に移すぐらい。初めて義経を勤めたときに、この動きで“義経って短気なんだ”と思いました。義経の性格をあの瞬間だけで表す…。歌舞伎の型はすごいと思います」

 初演のときはいかがでいらっしゃいましたか。
 「性根はわかっていても、動きとして出せないところがもどかしかった。気持ちは十分に入っていましたが、歌舞伎の役として表現されなければ意味がないわけで、福助(当時)が、ただ立っているように見えていたのではないでしょうか。そこが歌舞伎の難しいところだと思います」

ようこそ歌舞伎へ

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