歌舞伎いろは

【歌舞伎いろは】は歌舞伎の世界、「和」の世界を楽しむ「歌舞伎美人」の連載、読み物コンテンツのページです。「俳優、著名人の言葉」「歌舞伎衣裳、かつらの美」「劇場、小道具、大道具の世界」「問題に挑戦」など、さまざまな分野の読み物が掲載されています。



御覧いただきたいのはここ!


「甘く気障に」と父に言われて

 『ぢいさんばあさん』の伊織は、3月の御園座の襲名公演で初演されました。第一幕では34歳。京都での任務を果たすため、愛妻るんと別れます。二幕は3カ月後。京都の料亭の座敷で、伊織は朋輩の甚右衛門を斬ってしまいます。三幕は37年後。お預けとなっていた伊織とるんが再会を果たします。初演では、どんなお気持ちで勤められましたか。
 「できないながらも、物語の完成度に助けられました。わずか10ページほどの森鷗外さんの原作を宇野信夫先生が、これほど完成された作品へと広げられた。鼻に手をやる伊織の癖、るんが伊織に渡したお守りなど、伏線がすべて三幕で生きてくる。わかりやすく緻密です」
 「初演の際、父(猿翁)からは“第一幕と二幕は甘く気障に”と言われました。それが澤瀉屋の伊織であると。それだけで想像が広がりました。いろいろな方が伊織を演じられてきましたが、澤瀉屋の伊織は“静”。つまり“静中動あり”です。それが“気障に甘く”という言葉に集約されていると思います」

 ほかにも猿翁さんからのお言葉をお聞かせください。
 「三幕の年を取ってからの伊織は、“テンポを出し、わかりやすく派手にやれ”と父に言われました。父はいつも、“お客様が拍手を待っているところでは、拍手をさせねばならない”と言います。三幕にはコミカルなところもあります。それをテンポとボリュームで調節します。そういう父に言われたテンポ、ボリューム、大げささも含め、御園座公演では毎回おもしろくやらせていただきました」

実人生とシンクロする物語

『ぢいさんばあさん』は、こんな作品

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平成25年3月御園座
(C)二階堂健

江戸番町の旗本、美濃部伊織と妻るんのおしどり夫婦には子が生まれたばかり。しかし、手傷を負ったるんの弟、久右衛門の代わりに伊織は都勤めを命じられてしまいます。申し訳なく思う久右衛門がるんに詫びているところへ、碁敵に連勝して上機嫌の伊織が帰ってきます。負け続けた朋輩、下嶋甚右衛門が悪態づいても気にしない伊織ですが、るんと二人きりになると、名残を惜しみ、再会をかたく誓うのでした。
3カ月後、伊織が入手した刀のお披露目の宴席に、その刀のために伊織に金を貸した下嶋が現れます。酒に酔った下嶋は宴に自分を呼ばない伊織をなじり、果ては足蹴にします。耐えかねた伊織は争ううちに、誤って下嶋を斬りつけてしまいました。
それから37年。今は久右衛門の息子夫婦が住む伊織の江戸の旧宅にも、あの別れの日と同じ春が訪れていました。今日は、伊織とるんとの再会をこの懐かしの旧宅でと、若い夫婦がお膳立てした日。若い二人がその場を去るのと入れ違いに現れたのは、お預けの身となっていた越前から許されて戻ってきた伊織でした。そこに立派な駕籠が到着し…。

 ご自分で工夫なさったのは、どんなところでしょう。
 「昨年、父と母(女優の浜木綿子)が、45、6年ぶりに再会しました。僕はその瞬間を目にしましたが、意外に普通でした。るんと伊織も一緒に暮らしたのは、短い期間でしょう。心情の違いはありますが、父と母も一緒に暮らした期間は短かった。ドラマとして、るんと伊織は、再会の場面で“あなた”“るん”と感動をあらわにしますが、現実を見た僕としては、そこから先の部分を参考にしたいと思っています」

 中車さんご自身の人生での体験が、芝居に活かされているわけですね。
 「また、伊織とるんは別離した翌年に子どもを亡くしているでしょう。それは将来、歌舞伎での自分の跡取りとなったかもしれない僕と別れた父の心情でもあったはずです。伊織とるんの子どもは、生きていたら第三幕のときには、37歳になっている。“男盛りだな”という伊織のせりふは、“もし、この子が歌舞伎をやっていたら”と思ったであろう、父のつもりになって言おうと思いました」
 「もちろん僕は後々、46歳で歌舞伎の世界に入ることになるわけですが、父にとっては、それまでは死んだ子も同然だったはずです。僕もテレビの世界にいましたから、父の目に触れなかったわけはないでしょう。父のつもりで言う伊織のせりふはたくさんありますし、第三幕は二重、三重に僕の実体験と重なります」


ようこそ歌舞伎へ

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