歌舞伎いろは

【歌舞伎いろは】は歌舞伎の世界、「和」の世界を楽しむ「歌舞伎美人」の連載、読み物コンテンツのページです。「俳優、著名人の言葉」「歌舞伎衣裳、かつらの美」「劇場、小道具、大道具の世界」「問題に挑戦」など、さまざまな分野の読み物が掲載されています。



もっと知りたい!中車さんのこと


團子の活躍と僕の誇り

市川中車さんをもっと知りたい!
市川中車
九代目 市川中車
(いちかわ ちゅうしゃ)

生まれ
昭和40年12月7日、東京都生まれ。

家族
二代目市川猿翁の長男。祖父は三代目市川段四郎、息子は五代目市川團子。母は女優の浜木綿子。四代目市川猿之助はいとこにあたる。

初舞台
平成24年6月新橋演舞場『小栗栖の長兵衛』長兵衛、『ヤマトタケル』帝ほかで、九代目市川中車を名のり初舞台。

中車さんを読みたい!

 今後なさりたい役があれば、お聞かせください。
 「役をやりたいとは、まだ言える立場ではありません。やらねばならない物がいっぱいあるのはわかります。それにどれだけ向かっていけるかです。お稽古事もやりながら、遅ればせながら苦労させていただいていることが、死ぬまでの間に、どれだけ形にできるかという挑戦でしかありません」

 團子さんはいかがでしょう。10月の国立劇場公演では『春興鏡獅子』の胡蝶を松本金太郎さんとお二人でなさいました。
 「彼の踊りを見て、うまくできたときよりも、失敗したときに強さを感じます。胡蝶で、彼が上手(かみて)で、金太郎君が下手(しもて)で体をそらせる振りがありました。僕も感じていたのですが、彼は金太郎君より体がそっていなかった。そこをどなたかにご指摘されたようで、次の日に挑戦して限界がわからずに、支えきれなくて後ろに転んだ」
 「でも、その後、まったくケロリとして最後まで踊り切ったことに、僕は感心しました。お弟子さんたちも、子どもはそういうところでがっくりして、後の踊りがめちゃめちゃになりがちだと言っていましたが、彼は平気でしたね。強い子だなと思いました」


 そんなとき、中車さんは父親としてはどんな言葉をかけられたのですか。
 「その日に、“武士は身体に一つだけ傷があるのが、優秀なんだ”という話をしました。何かの本で読んだのですが、まったく無傷の武士は負けを知らないから怖い物なしで、いつか斬られる。でも優れた武士は、傷がついても、それを学習して次から危険を避ける動きができる。“お前の今日は傷が一つついた瞬間だ。後は傷をつけないで最高の武士になりなさい”と言いました。その後、彼はぶれずにやっていました」

 とても舞台がお好きでいらっしゃるようですね。
 「今でも踊りたくてしようがないようです。公演中も、よく食べて朝から晩まで走り回って踊って、帰ってからも走り回っていました。どれだけ体力あるんだというぐらい。舞台に出られてよかったと思います。11月からお稽古事を増やし、これまでの踊りと仕舞に加えて鼓、三味線も始めました」
 「僕も三味線は一緒に稽古をしているのですが、彼は子どもですから、1回行っただけでスポンジが水を吸い上げるように覚える。置いていかれそうです。それを見ただけで、團子を歌舞伎の世界に入れたのは正解だったと思いたいです。僕が歌舞伎をやることは、間違っているかもしれないし、多くの人からも間違っていると言われます。でも、彼を入れたことは間違いではなかったのではないかということが、僕には誇りです」


※澤瀉屋の「瀉」のつくりは正しくは"わかんむり"です。

ようこそ歌舞伎へ

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