歌舞伎いろは

【歌舞伎いろは】は歌舞伎の世界、「和」の世界を楽しむ「歌舞伎美人」の連載、読み物コンテンツのページです。「俳優、著名人の言葉」「歌舞伎衣裳、かつらの美」「劇場、小道具、大道具の世界」「問題に挑戦」など、さまざまな分野の読み物が掲載されています。



歌舞伎座 「八月納涼歌舞伎」『信州川中島合戦』「輝虎配膳」今度の舞台を楽しく見るために

ようこそ歌舞伎へ 中村橋之助

短い時間に物語の背景を集約させる

 ――『輝虎配膳』の輝虎は、初役でいらっしゃいます。長尾輝虎、つまり上杉謙信をモデルにした武将で、名軍師、山本勘助を自分の陣営に招きたいと勘助の母越路を館に呼んでもてなそうとします。越路が勘助の嫁のお勝を同道し、館に来て物語が始まります。

 輝虎は越路に出す膳を持って登場します。本当はこの前にも輝虎がしゃべる場面がありますが、カットしてあります。輝虎の膳を越路は足蹴にし、輝虎は怒ります。越路をなさる俳優さんによって世話に落とすか、大時代にするかが異なります。それを踏まえて輝虎の怒りの頂点をどこに持ってくるか、バランスを考えて勤めたいと思います。

 輝虎は名将です。ただの短気な血の気の多い人間ではありません。そこまでのしがらみを、短い間に全部集約して出さなければいけないのは一苦労だと思います。

 ――お勝は勘助の女房ですが、言葉が不自由なため、琴を弾き、歌に乗せて輝虎に詫びをします。輝虎は、お勝に対してはいかがでしょう。

 越路の態度に怒って輝虎が烏帽子を取り、刀に手を掛けたところにお勝が止めに入る。そばにあったお琴を弾きながら、というのが面白いところです。悠長に踊り的になってはいけませんし、輝虎の怒りが琴でかき消されてもいけない。間の持ち方が難しい場面です。気持ちを柔軟に持っていなければならない。ここでの怒りのつなぎ方はきっと難しいだろうと思います。

『信州川中島合戦』「輝虎配膳」(しんしゅうかわなかじまがっせん)(てるとらはいぜん)

このページのコンテンツには、Adobe Flash Player の最新バージョンが必要です。

Adobe Flash Player を取得

(C)松竹株式会社

 越後の長尾輝虎(後の上杉謙信)は甲斐の武田信玄との合戦に勝利するため、敵方の軍師、山本勘助を味方に引き入れたいと考えていました。長尾家の家老、直江山城守は妻の唐衣が勘助の妹であることから、唐衣に母の顔が見たいと文を出させ、勘助の母越路と妻お勝を館に呼び寄せる手はずを整えました。

 直江は館に着いた二人を歓迎し、主人の輝虎が将軍義輝公から拝領して一度手を通した小袖を献上しますが、越路は輝虎の古着などいらぬと突き返してしまいます。困った直江が料理を促すと、なんと輝虎が烏帽子直垂(ひたたれ)姿で自ら膳を運んできました。しかし、こんなことで釣られる勘助ではないと、膳を蹴返す越路。憤った輝虎は首をはねんと刀に手を掛けて詰め寄りますが、越路はお手討ちになりましょうと一歩も引きません。直江が止めに入り、言葉が不自由なお勝は琴を弾きながら無礼を詫び、自らの命を差し出して許しを請います。その必死の様子を見た輝虎は…。

輝虎のもう一つの見せ場

 ――輝虎が怒りのあまり、着物を一枚ずつ脱いで襦袢姿になり、越路に詰め寄るところも見せ場の一つですね。

 着物は4枚脱ぐつもりでおります。輝虎は衣裳を脱いでいく間に、大時代な怒りを見せます。松嶋屋のおじ様(十三世片岡仁左衛門)も4枚脱がれたように記憶しています。

 松嶋屋のおじ様は、「ここはお客様が笑っていてもいいんだ、笑わせるように脱ぎなさいよ」とおっしゃいました。肌を脱ぐのはばかばかしいけれど、やってくれとおっしゃいました。父(中村芝翫)がお勝を勤めたとき(昭和50年12月京都四條南座)の録音が残っていますが、そのときも、お客様は笑っていらっしゃいます。

 ――それぞれの役に見せ場があるお芝居ですね。

 越路は「三婆」に数えられることもある老女方の大役です。輝虎の出し物ではありますが、お勝や越路の出し物のような部分もあります。ですが、この芝居ではみんなあまりしゃべっていないんですよ。輝虎だって、三、四言ぐらいです。お勝も言葉に障害がありますし、口数は少ない。よくしゃべっているのは越路だけです。

 また、幕切れでは主役の輝虎が舞台に残り、お勝と越路が幕外になる。これも珍しいと思います。

ようこそ歌舞伎へ

バックナンバー