歌舞伎いろは

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歌舞伎座 「八月納涼歌舞伎」  『信州川中島合戦』「輝虎配膳」知っているともっと面白くなる!

ようこそ歌舞伎へ 中村橋之助

芝居ごっこで輝虎を

 ――『輝虎配膳』というお芝居との出会いはいつ頃だったのでしょう。

 昭和47(1972)年正月の歌舞伎座の「輝虎配膳」を拝見しています。松嶋屋のおじ様(十三片岡世仁左衛門)の輝虎、(中村)歌右衛門のおじ様のお勝、(二世中村)鴈治郎のおじ様の越路、(十四世守田)勘弥のおじ様の直江、父(中村芝翫)の唐衣でした。芝居の意味がわからなくたって、この配役を見ただけでもう楽しいですよ。

 ――そのときから、いつかは『輝虎配膳』をと思われていたのでしょうか。

 次に拝見した昭和50(1975)年12月の京都、南座のときでしょうか。輝虎はこのときも松嶋屋のおじ様。父がお勝でした。我が家は4人兄弟で、僕が末っ子です。兄弟の中で、じゃんけんで勝った一人だけが、京都に連れていってもらえることになりました。本当に僕が勝ったのか、上の3人は、親のいない家のほうがのびのびと遊べて楽しいと思ったのか(笑)、とにかく僕が京都へ連れて行ってもらいました。

 それで毎日のように、『輝虎配膳』を見ておりました。理屈抜きに楽しめる歌舞伎らしいお芝居ですから、お芝居ごっこにもしやすかった。家に帰ってからは紙の髭をつくって顔に貼り、輝虎の真似をして遊んでいました。その延長で、松嶋屋のおじ様に「いつかやらせていただきたい」とお願いしていたんです。

歌舞伎座 「八月納涼歌舞伎」

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平成26年8月5日(火)~27日(水)

公演情報

(C)松竹株式会社

『信州川中島合戦』しんしゅうかわなかじまがっせん「輝虎配膳」てるとらはいぜん

長尾輝虎 中村 橋之助
直江山城守 坂東 彌十郎
唐衣 中村 児太郎
越路 市村 萬次郎
お勝 中村 扇 雀

松嶋屋のおじ様の思い出

 ――(十三世)仁左衛門さんからご指導を受けられたのはいつでしょう。

 平成4(1992)年6月に松嶋屋のおじ様が、歌舞伎座で『荒川の佐吉』の相模屋政五郎をなさっていたときでした。僕は三越劇場で『鳥辺山心中』の菊地半九郎を勤めておりました。おじ様にお声掛けいただき、三越から歌舞伎座のおじ様の楽屋に通いました。「幸ちゃん(本名 幸二)、覚えておいてくれ」とおっしゃり、竹本をテープで流しながら、ご指導くださいました。

 今回が初めての輝虎ですが、おじ様の教えを守り、器を大きく、細々とせず、神経質にならず、大らかな中にも勢いのある、芯の強い武将にできたらと思います。1回目は教わったとおりに演じるのが僕らの世界のお約束ですから、おじ様に教えていただいたとおりにやらせていただき、また機会があったときに、自分のほうに引き寄せていけたらと思います。

 ――長年の思いが詰まった初役になりそうです。

 随分時間が立ってしまって申し訳ありませんでしたが、歌舞伎役者は歌舞伎座でできるのが一番なので、お世話になったおじ様に少しは御恩返しできることになり、うれしいです。今後とも大事にしていこうと思っています。

 ――お小さい頃から(十三世)仁左衛門さんにはかわいがられたそうですね。

 おじ様は関西の役者さんでありながら、東京の芝居もお好きでいらした。「あそこはこうしたほうがいい」とずいぶんご助言もいただきました。僕が大きな役をやらせていただけるようになった頃には、もう目が不自由でいらしたものですから、劇場にお見えになると最前列に座っていらっしゃいました。緊張しましたよ。

ようこそ歌舞伎へ

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