歌舞伎いろは

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歌舞伎座 「秀山祭九月大歌舞伎」  『法界坊』『絵本太功記』知っているともっと面白くなる!

ようこそ歌舞伎へ 中村吉右衛門

團蔵型を基本にした初代のやり方で

 ――『太功記』「十段目」の光秀は平成5(1993)年5月の大阪中座以来です。

 これまでに2度しか勤めておりません。初演は平成4(1992)年4月の歌舞伎座で、実父の(松本)白鸚の生前に話を聞いておりました。実父は初代(吉右衛門)から教わっています。(七世市川)團蔵型を基本にしております。

 ――「夕顔棚のこなたより、現れいでたる武智光秀」の浄瑠璃に乗っての出が印象的です。最初は笠で顔を隠しています。顔を見せる際に、笠を上げる型と下げる型の両方がありますね。

 團蔵型では笠を下げて顔を見せます。團蔵さんは写真で拝見しても立派で怖い顔をされているので、さぞ不気味さも出たことと思います。笠を下げた瞬間に「じわ」(嘆声)が客席から起こるのが理想です。

 尾田春長に付けられた額の傷も、写真で拝見する團蔵さんのは三日月のように大きい。私はあそこまではいかない、ちょっと大きめの三日月型にしようと思っております。(七世松本)幸四郎の祖父は今叩かれたような小さめの傷ですが、私には、それは似合わないと思いますので。

 ――出てきただけで、見る者に強烈な印象を与える人物です。

 光秀は短期間とはいえ、天下を取った人。それが数日後には殺されてしまう。それも自分が母親を殺めてしまったのと同じ、竹槍で刺されて死ぬ。その運命の凄まじさ。光秀が実際に舞台でやることはあまりないんですが、出てきただけで、大きな人というのがわからないといけない。十次郎と親子の情は出しますが、そのほかはデンと構えています。そういう役は、こうすればいいというのではないんですね。そこが難しいです。

『隅田川続俤 法界坊』(すみだがわごにちのおもかげ ほうかいぼう)歌舞伎座「秀山祭九月大歌舞伎」

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平成4年2月歌舞伎座
(C)松竹株式会社

『絵本太功記』
「尼ヶ崎閑居の場」

武智光秀 中村 吉右衛門
武智十次郎 市川 染五郎
佐藤正清 中村 又五郎
初菊 中村 米 吉
真柴郎党 中村 歌 昇
中村 種之助
中村 隼 人
真柴久吉 中村 歌 六
皐月 中村 東 蔵
中村 魁 春

 武智光秀(明智光秀)の母、皐月が引きこもる尼崎の庵室に、その身を案じる光秀の妻、操が、息子の十次郎とその許嫁の初菊を連れてやって来ます。十次郎は討死覚悟で初陣の許しを請い、祝言と出陣の盃を交わすと、残された3人は泣き叫ぶばかりでした。

 夜が更け、竹藪から現れたのは、真柴久吉(羽柴秀吉)を追ってきた光秀。久吉を討たんと障子越しに突いた竹槍は、なんと母の皐月に刺さってしまい呆然となります。それでも、主君尾田春長(織田信長)を討ったのは天下のためと声を荒げる光秀ですが、そこへ手負いとなった十次郎が駆けつけ、父に急ぎ本国へ帰るようにと告げて息絶え、さすがに涙がこぼれ落ちるのを止めることはできません。そんな光秀の前に現れたのは…。

歌舞伎座「秀山祭九月大歌舞伎」
■平成26年9月1日(月)~25日(木)

お客様の感情を途切れさせることなく

 ――十次郎の死を嘆く「大落とし」はいかがでしょう。

 型がございますので、そのとおりに勤めるつもりです。十次郎を見て涙を堪えて、わーっと泣く。強い御大将が、親子の情には負けて泣いたというのが出せるかどうかです。

 ――久吉を討とうとして誤って母の皐月を殺めてしまう竹槍も、なさる方によって扱いが違いますね。

 竹藪から竹を切って先をそぎ落とす。竹の先を油に付けて火であぶる型もありますが、初代も実父もそこは省いております。それよりも、これから久吉を殺しにいく、だが、その座敷にいるのは実は母親。それをお客様はご存じなので、大丈夫かしらと心配に思う。そのスリリングさを強調するために、ほかのことは一切省き、生の竹槍で突くというのが初代の型です。

 竹槍なんて今の方はご存じないから、強くするために焼くという形をお見せするのもいいかなと、実のところ迷ったのですが、そうするとスリルが断絶して落ち着いてしまうような気がして、焼かないことにいたしました。

ようこそ歌舞伎へ

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