歌舞伎いろは

【歌舞伎いろは】は歌舞伎の世界、「和」の世界を楽しむ「歌舞伎美人」の連載、読み物コンテンツのページです。「俳優、著名人の言葉」「歌舞伎衣裳、かつらの美」「劇場、小道具、大道具の世界」「問題に挑戦」など、さまざまな分野の読み物が掲載されています。



歌舞伎座 「吉例顔見世大歌舞伎」  『熊谷陣屋』幸四郎さんのこと、お教えします

ようこそ歌舞伎へ 松本幸四郎

息子、孫、曾孫、奇跡の追善興行

 ――11月の歌舞伎座は初世松本白鸚三十三回忌追善の興行です。白鸚さんは幸四郎さんにとって、どんなお父様でいらっしゃいましたか。

 にこにこして物静かでしたが、芝居もあまり教えてくれませんでした。私が大きな役を初演するときには、さすがに見てくれるのですが、稽古をしているうちに、いつの間にか自分の稽古になってしまうんです。『勧進帳』の弁慶にしても何にしても、息子そっちのけで、自分の稽古を始めてしまう。

 父とは子どもの頃はすれ違いでした。私が学校に行ってから父は起きるので朝は会いません。私たちが学校から帰って宿題をして寝る頃に、父と母は劇場から帰ってきます。大人になってからも、じっくり話したのはせいぜい2、3回ぐらいではないでしょうか。晩年に銀座の竹葉亭でウナギを食べたのと、知人の別荘の風呂で背中を流したのと、あともう1回対談をしたときくらいでした。

 ――ご夫婦仲がいいのでも有名でしたね。

 相思相愛で、ことに母は父一筋の人でした。それが結果的には父のためにもよかった。母は父である播磨屋の祖父(初世中村吉右衛門)の芝居を見て全部知っています。歌舞伎から舞踊、鳴物などすべてに通じていました。私の稽古のときも、父と一緒に見ていました。

 母は死ぬまで私の芝居を誉めませんでしたからね。そういう母の前で教えるのですから、父もやりにくかったんじゃないでしょうか。親のことを誉めるのも何ですが、人間としてちゃんと生きた父母がいたから、こんな立派な三十三回忌をさせていただけるのだと思っています

 ――その白鸚さんのお孫さんの染五郎さんが『勧進帳』では初役で弁慶、幸四郎さんが富樫、白鸚さんからすると曾孫の松本金太郎さんが太刀持と、親子三代で出演されます。

 こういうことができるのは奇跡に近いことで本当にありがたいことだと思っています。昭和56(1981)年11月の歌舞伎座でも、父が白鸚、私が幸四郎、息子が染五郎と三代で襲名ができました。翌年に父は亡くなりましたが、自分の魂、命を息子、孫に託して一生を終えた…。歌舞伎をそういう形で勤め終えたんだと思います。

 名を譲った翌年に一生を終えた。命を懸けて歌舞伎の伝承をした人ではないかなと思いますね。

中村勘九郎 中村屋!

松本幸四郎さんをもっと知りたい!

九代目 松本幸四郎(まつもと こうしろう)

生まれ 昭和17年8月19日、東京都生まれ。
家族 初代松本白鸚(八代目松本幸四郎)の長男。息子は七代目市川染五郎。四代目松本金太郎は孫にあたる。弟は二代目中村吉右衛門。
初舞台 昭和21年5月東京劇場『助六由縁江戸桜』外郎売伜(ういろううりせがれ)昭吉で二代目松本金太郎を名のり初舞台。
襲名 昭和24年9月東京劇場『勧進帳』太刀持、『ひらかな盛衰記』「逆櫓」遠見樋口ほかで、六代目市川染五郎を襲名。同56年10・11月歌舞伎座『勧進帳』武蔵坊弁慶、『菅原伝授手習鑑』「寺子屋」舎人松王丸、『熊谷陣屋』熊谷次郎直実、『助六曲輪江戸桜』花川戸助六実は曽我五郎ほかで、九代目松本幸四郎を襲名。
受賞 昭和40、42年テアトロン賞。54年度日本芸術院賞。平成5年サー・ジョン・ギールグッド賞、読売演劇大賞最優秀男優賞。10年眞山青果賞大賞、菊田一夫演劇賞大賞。15年第10回坪内逍遙大賞。17年紫綬褒章。21年日本芸術院会員。24年文化功労者、25年第30回早稲田大学芸術功労者ほか、受賞、受章多数。

平成25年

12月 十二月大歌舞伎」(歌舞伎座)
『仮名手本忠臣蔵』「四段目」「七段目」「十一段目」大星由良之助

平成26年

1月 壽初春大歌舞伎」(歌舞伎座)
『梶原平三誉石切』梶原平三景時/『仮名手本忠臣蔵』「九段目 山科閑居」加古川本蔵
3月 鳳凰祭三月大歌舞伎」(歌舞伎座)
『加賀鳶』天神町梅吉・竹垣道玄
4月 鳳凰祭四月大歌舞伎」(歌舞伎座)
『鎌倉三代記』佐々木高綱/『梅雨小袖昔八丈』髪結新三
6月 六月大歌舞伎」(歌舞伎座)
『大石最後の一日』大石内蔵助 /『素襖落』太郎冠者
10月 平成26年10月歌舞伎公演「通し狂言 双蝶々曲輪日記」(国立劇場)
『双蝶々曲輪日記』濡髪長五郎

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