歌舞伎いろは

【歌舞伎いろは】は歌舞伎の世界、「和」の世界を楽しむ「歌舞伎美人」の連載、読み物コンテンツのページです。「俳優、著名人の言葉」「歌舞伎衣裳、かつらの美」「劇場、小道具、大道具の世界」「問題に挑戦」など、さまざまな分野の読み物が掲載されています。



旧金毘羅大芝居(金丸座)「四国こんぴら歌舞伎大芝居」『芦屋道満大内鑑』時蔵さんのこと、お教えします

ようこそ歌舞伎へ 中村時蔵

教わるということは人に聞くということ

 ――「葛の葉」は坂田藤十郎さんに教わられたとうかがいましたが、時蔵さんはいろいろな方から教えを受けていらっしゃいます。

 歌右衛門、梅幸、芝翫、(二世)又五郎といったおじ様方にも教えていただきました。役を教わる頃には、僕には父がいなかった。父がいたらいくつかは父に教わったと思います。

 僕らの若い頃に比べ、今は教わりに来る人が少なくなりましたね。結局、皆ビデオで見て芝居をしてしまう。聞きに来ても、一応聞くだけ聞いて、後はビデオを見てやろうと思っている人が多い。そうすると、この場で覚えようという気がないから、身に沁みないんですよ。

 ――教える側に立たれると、思うところもまた違ってきますね。

 亡くなった三津五郎さんも本当に嘆いていました。「僕たちが教わったことは、これは僕たちだけの財産ではない、先輩からお借りしている、だから次の人たちにそれをまた渡さないといけないんだ」と彼は言っていました。

 うちでもよく言うのですが、ビデオには映っていないこともあります。ビデオを撮った日にたまたませりふを失敗しているかもしれない。だからビデオは参考にしかならないんだと。先輩に教わりに行けば、裏話も聞かせてもらえます。たとえば「誰々さんからは、こう教わったんだよ」と。それは一つの財産だから、絶対、人に聞きに行きなさいと言っています。

そして、逝ってしまった仲間のこと

 ――勘三郎さん、三津五郎さん。お二人とも時蔵さんとは同学年でいらっしゃいました。

 ずっと一緒に芝居をしてきた仲です。彼らは先輩方の片腕でもあり、受け継いでいく人でもあった。その人たちがいなくなってしまいました。三津五郎さんとは歌舞伎座の柿葺落興行の『喜撰』で(平成25年6月)、お梶を踊ったのが最後。最初の共演が梅幸のおじ様の『お夏狂乱』(昭和39年正月歌舞伎座)の里の子かな。梅幸のおじ様の『鏡獅子』(昭和44年11月歌舞伎座)では胡蝶を二人で踊りました。

 勉強会の『絵本太功記』「十段目」で三津五郎さんの十次郎、僕の初菊や『傾城反魂香』の又平とおとくなど、数え上げたら切りがありません。舞台に復帰するものとばかり思っていましたので、寂しいなんてものじゃありません。

 こんぴら歌舞伎では『三人吉三』(平成15年4月)の大川端を、成田屋のにいさん(團十郎)の和尚、三津五郎さんのお坊で、僕がお嬢を勤めました。その二人はもういません。本当に残念なことです。

中村時蔵 萬屋!

中村時蔵さんをもっと知りたい!

中村時蔵(なかむら ときぞう)

生まれ 昭和30年4月26日生まれ。
家族 父は四代目中村時蔵。息子は四代目中村梅枝、初代中村萬太郎。弟は二代目中村錦之助。中村歌六、中村又五郎、中村獅童が従兄弟に当たる。
初舞台 昭和35年4月歌舞伎座『八重桐廓噺』童、『妹背山婦女庭訓』「三笠山御殿」小婢女おひなで三代目中村梅枝を名のり初舞台。
襲名 昭和56年6月歌舞伎座『妹背山婦女庭訓』杉酒屋お三輪、『網模様燈篭菊桐』千葉家奥女中滝川ほかで、五代目中村時蔵を襲名。
受賞 平成20年日本藝術院賞、同22年紫綬褒章、ほか多数。

平成26年

3月 平成26年3月歌舞伎公演「菅原伝授手習鑑-車引-」「處女翫浮名横櫛-切られお富-」(国立劇場)
『處女翫浮名横櫛』お富
4月 鳳凰祭四月大歌舞伎」(歌舞伎座)
『壽春鳳凰祭』女御/『女伊達』女伊達
5月 團菊祭五月大歌舞伎」(歌舞伎座)
『魚屋宗五郎』女房おはま/『極付幡随長兵衛』女房お時
6月 六月大歌舞伎」(歌舞伎座)
『春霞歌舞伎草紙』 出雲阿国/『蘭平物狂』女房おりく実は音人妻明石
7月 七月大歌舞伎」(大阪松竹座)
『菅原伝授手習鑑』「寺子屋」松王女房千代/『真景累ヶ淵』豊志賀
10月 錦秋名古屋 顔見世」(日本特殊陶業市民会館)
『人情噺文七元結』女房お兼/『本朝廿四孝』八重垣姫/『伊勢音頭恋寝刃』仲居万野
11月 吉例顔見世歌舞伎」(歌舞伎座)
『義経千本桜』「すし屋」弥助実は三位中将維盛

平成27年

1月 平成27年初春歌舞伎公演「通し狂言 南総里見八犬伝」(国立劇場)
『南総里見八犬伝』犬塚毛野
2月 二月大歌舞伎」(歌舞伎座)
『彦山権現誓助剱』お園/『神田祭』芸者

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