歌舞伎いろは

【歌舞伎いろは】は歌舞伎の世界、「和」の世界を楽しむ「歌舞伎美人」の連載、読み物コンテンツのページです。「俳優、著名人の言葉」「歌舞伎衣裳、かつらの美」「劇場、小道具、大道具の世界」「問題に挑戦」など、さまざまな分野の読み物が掲載されています。



日本特殊陶業市民会館「錦秋名古屋 顔見世」『あんまと泥棒』『松浦の太鼓』 知っているともっと面白くなる!

ようこそ歌舞伎へ 中村歌六

江戸の洒落者、洒脱な人

 ――『松浦の太鼓』の宝井其角は5回目ですね。初めてなさったのが、平成19(2007)年12月の国立劇場です。

 それ以前には中村屋のおじさん(十七世勘三郎)の松浦侯で、近習を3回勤めております。松浦侯の機嫌を損じないように近習たちが話を合わせるので、「ごますり近習」、略して「ごまきん」と呼ばれます。昭和47(1972)年12月の国立劇場では、(二世市川)子団次のおじさんや、(市川)段四郎さんと一緒に出ました。その後の公演では、弟(又五郎)や哲明さん(十八世勘三郎)と勤めたこともありました。

 ――いろいろな方の其角をご覧になられたと思いますが、どなたが印象に残りますか。

 松嶋屋のおじさん(十三世片岡仁左衛門)の其角です(昭和51年1月歌舞伎座、59年12月南座)。ぱあっとした大らかさみたいなものがおありでしたね。

 ――其角はどんな人物と思われますか。

 洒脱な人でしょうね。あの頃の俳諧師は皆、洒落者なんじゃないですか。世の中をちょっと斜に見ている感じで…。洒落た文化人だったのではないでしょうか。

秀山十種の内『松浦の太鼓』(まつうらのたいこ)

このページのコンテンツには、Adobe Flash Player の最新バージョンが必要です。

Adobe Flash Player を取得

平成26年1月歌舞伎座
撮影:松竹株式会社

 時は元禄14年、師走13日の両国橋。雪景色の中、俳人の宝井其角とすれ違った煤竹売りは、かつて其角に俳句の指導を受けたことがあり、浅野内匠頭に仕えていた大高源吾でした。御家断絶となって浪人の身の源吾に、其角は紋服を渡して「年の瀬や水の流れと人の身は」と詠じ、付句を求めました。その句の意味を考えながら源吾を見送る其角…。

 翌日、平戸藩主の松浦鎮信 の句会で屋敷に出向いた其角は、源吾の妹のお縫が鎮信の不興を買っているのを見てとりなそうとしますが、源吾の名前を出してからは鎮信の機嫌は悪くなる一方。困った其角がその真意を問うと、赤穂浪士に同情していた鎮信としては、仇討の意志もない大石や源吾らに業を煮やし、不忠者の縁者であるお縫も遠ざけていたとのこと。それを聞いて其角はお縫を連れて下がることにし、去り際にふと昨日の源吾の付句「明日待たるるその宝船」の話をします。その句の意味を思案していた鎮信の耳に入ったのが、山鹿流の陣太鼓の音。討入りを悟った鎮信の顔は一変し…。

お殿様との会話のキャッチボール

 ――雪の降る両国橋で其角と大高源吾は出会います。赤穂浪士の源吾は仇討ちの大望を秘め、煤竹(すすだけ)売りに身をやつしています。

 情緒のある風景ですよね。其角は源吾が身をやつしているとは知らない。寒そうな源吾を可愛そうだと思い、自分が松浦侯から拝領した羽織をあげてしまいます。其角も陰ながら赤穂浪士を応援し、本当は仇討ちをしてもらいたいと思っている。そして、俳句の道を忘れないで欲しいという友情も感じています。

 ――其角が「年の瀬や水の流れと人の身は」と詠み上げ、付句をうながされた源吾が「明日待たるるその宝船」と詠んで去るのが、序幕の見せ場ともなります。

 其角は、源吾が「なにか不思議なことを言っているなあ」ぐらいしかわからない。どういう意味なんだろかと考えながら、別れていく。

 ――翌日の夜、其角は松浦鎮信の屋敷を訪ねます。それが仇討の当日です。其角が鎮信から拝領した紋服を源吾に与えたと聞かされた松浦侯は怒り出し、其角は困り果てます。

 其角はひたすら謝ります。お殿様はスポンサーですから、怒らせてしまってはまずいわけです。

 一方のお殿様は自分の感情のままに、怒ったり喜んだり、泣いたりする。お殿様ってそういうものなんだろうと思います。お殿様との会話のキャッチボールがちゃんとできればいいんですが。私が暴投することがないように気を付けます。 

ようこそ歌舞伎へ

バックナンバー