歌舞伎いろは

【歌舞伎いろは】は歌舞伎の世界、「和」の世界を楽しむ「歌舞伎美人」の連載、読み物コンテンツのページです。「俳優、著名人の言葉」「歌舞伎衣裳、かつらの美」「劇場、小道具、大道具の世界」「問題に挑戦」など、さまざまな分野の読み物が掲載されています。



日本特殊陶業市民会館「錦秋名古屋 顔見世」『あんまと泥棒』『松浦の太鼓』 歌六さんのこと、お教えします

ようこそ歌舞伎へ 中村歌六

叔父たちとの思い出あふれる名古屋

 ――名古屋での公演といえば以前の御園座では、叔父の萬屋錦之介さんが昭和47(1972)年から昭和55(1980)年頃まで、毎年のように座頭として公演をされ、歌六さんもずいぶんご出演になられています。

 御園座の屋上に、劇場が美空ひばりさんのために建てた「ひばり御殿」と呼ばれる建物があり、公演のときはいつも錦之介の叔父が泊まっていました。私たちはホテル泊まりですが、毎晩のように叔父のところにお弟子さんたちと集まり、わあわあ言いながら、飲むんです。

 そうして叔父が寝たら、若い連中たちは何人かでそっと抜け出して飲みにでかける。でも、なぜか店に着く頃、必ず叔父から電話があり、「寂しいから早く帰って来いとおっしゃっていますよ」と、お店の方から言われる。叔父は寂しがり屋なんです。巡業先でも、「一人で楽屋にいるのは寂しいから、おまえ一緒に入れよ」と言われ、狭い部屋に二人で入りました。

 ――そういうときはお芝居の話をされたんですか。

 叔父はあまり芝居の話はしませんでしたが、初代吉右衛門のおじさんを神様のように思っていたので、「吉右衛門のおじさんはこうだった」と話してくれることもありました。芝居では、叔父は私たちの演技に、ちょっとでもいいところがあると、褒めてくれましたね。

 祖母(小川ひな=三世中村時蔵夫人)に、「あんなもので褒めたらだめよ」と言われても、叔父は「褒めて駄目になる奴は、けなしても駄目になるんだよ」と応じていました。(中村)嘉葎雄の叔父は逆で褒めません。「あそこはこうしたほうがいいよ」と細かく注意してくれました。御園座の萬屋錦之介公演には、いい先生が二人いました。

 ――ところで、8月は長男の米吉さんが参加されたラスベガス公演を見るために、現地へ家族旅行されたそうですね。

 米吉は一日中稽古をしているので、ほとんど遊べませんでしたが、私と妻と二男は、ベラージオ(ホテル)に泊まり、ゆっくり御飯を食べ、シルク・ドゥ・ソレイユの「オー」や「カー」を見ておりました。『鯉つかみ』は5回公演のうち3回を見ました。よくできていて面白かったですね。

 千穐楽の次の日に米吉も交えて一家でグランドキャニオンに出かけ、初めて家族旅行をしたという感じになりました。カジノにも行き、ルーレットとブラックジャックをして…、収支はとんとんでした。

中村歌六 播磨屋!

中村歌六さんをもっと知りたい!

中村歌六(なかむら かろく)

生まれ 昭和25年10月14日生まれ。
家族 父は四代目中村歌六、息子は五代目中村米吉、弟は三代目中村又五郎。五代目中村時蔵、二代目中村錦之助、二代目中村獅童はいとこにあたる。
初舞台 昭和30年9月歌舞伎座『夏祭浪花鑑』倅市松ほかで四代目中村米吉を名のり初舞台。
襲名 昭和56年6月歌舞伎座『一條大蔵譚』大蔵卿で五代目中村歌六を襲名。
受賞 平成8年眞山青果賞奨励賞、13年十三夜会賞助演賞、22年松尾芸能賞優秀賞。27年第22回読売演劇大賞優秀男優賞。同年芸術選奨文部科学大臣賞。
この一年の舞台

平成26年

10月 十月花形歌舞伎」(新橋演舞場)
『金幣猿島郡』如月尼実は乳人御厨
11月 吉例顔見世大歌舞伎」(歌舞伎座)
『井伊大老』仙英禅師
12月 平成26年12月歌舞伎公演「通し狂言 伊賀越道中双六」(国立劇場)
通し狂言『伊賀越道中双六』山田幸兵衛

平成27年

1月 壽初春大歌舞伎」(歌舞伎座)
『一本刀土俵入』波一里儀十/『女暫』蒲冠者範頼
2月 二月大歌舞伎」(歌舞伎座)
『吉例寿曽我』工藤左衛門祐経
3月 三月大歌舞伎」(歌舞伎座)
『菅原伝授手習鑑』「道明寺」土師兵衛
4月 四月大歌舞伎」(歌舞伎座)
『廓文章』藤屋番頭藤助/『成駒家歌舞伎賑』男伊達揚羽蝶歌六
5月 團菊祭五月大歌舞伎」(歌舞伎座)
『摂州合邦辻』合邦道心
6月 六月大歌舞伎」(歌舞伎座)
通し狂言『新薄雪物語』五郎兵衛正宗
7月 七月大歌舞伎」(大阪松竹座)
『ぢいさんばあさん』下嶋甚右衛門/『絵本合法衢』高橋瀬左衛門・高橋弥十郎
9月 秀山祭九月大歌舞伎」(歌舞伎座)
通し狂言『伽羅先代萩』「竹の間」「御殿」八汐/「対決・刃傷」渡辺外記左衛門

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